2.坤為地 | 心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司

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坤為地
坤、元亨。利牝馬之貞。君子有攸往。先迷、後得主。利西南得朋、東北喪朋。安貞吉。
○坤は、元(おお)いに亨(とお)る。牝馬(ひんば)の貞に利(よろ)し。君子往(ゆ)く攸(ところ)有り。先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得(う)。西南に朋(とも)を得(え)、東北に朋(とも)を喪(うしな)うに利(よろ)し。貞に安んずれば吉。
坤(こん)の時は大いに成就する。メス馬のように、主(あるじ)に順うがよい。脇役の君子には、進むべき道がある。
先頭に立てば道に迷い、主(あるじ)に仕えれば、生涯の仕事に巡り逢える。西南(故郷)に居る時は家族や友達を大切にする。東北の地に赴けば(故郷を出れば)家族や友達と別れるが、それが進むべき道である。迷うことなく、脇役に徹すれば、幸を得る。
彖曰、至哉坤元、萬物資生。乃順承天。坤厚載物、德合无疆。含弘光大、品物咸亨。牝馬地類、行地无疆。柔順利貞、君子攸行。先迷失道、後順得常。西南得朋、乃與類行。東北喪朋、乃終有慶。安貞之吉、應地无疆。
○至れるかな坤元(こんげん)、万物(ばんぶつ)資(と)りて生ず。乃(すなわ)ち順にして天を承(う)く。坤厚くして物を載(の)せ、德(とく)疆(かぎり)なきに合う。含弘光大(がんこうこうだい)にして、品物(ひんぶつ)咸(ことごと)く亨(とお)る。
牝馬(ひんば)は地の類、地を行くこと无疆(むきょう)なり。柔順利貞、君子の行う攸(ところ)なり。先んずれば迷いて道を失い、後(おく)るれば順(したが)って常を得(う)。西南に朋(とも)を得るは、乃ち類と行くなり。東北に朋を喪うは、乃ち終(つい)に慶(よろこ)び有るなり。貞に安んずるの吉は、地の无疆(むきょう)なるに応ず。
坤は乾に至るほど偉大である。乾のエネルギーを丸ごと受け容れて、万物を生み出す。大地(坤)が柔順に天(乾)の元氣を受け容れるのである。
陰德を積み上げて万物を載せ、疆〔かぎり〕ない乾の元氣と一体化する。万物は優しく包まれて光り輝き、それぞれ性命〔天命〕を発揮して、すらすら成長する。メス馬は、天に対する地。大地の役割を果たすために疆(かぎ)りなく進んで行く。
柔順に脇役に徹するのが坤の君子の行く道である。
先頭に立てば道に迷うが、主(あるじ)に仕えれば、生涯順(したが)うべき相手に巡り逢える。西南(故郷)に居る時は家族や友達を大切にする。仲間と共に歩むのである。東北の地に赴けば家族や友達と別れるが、それが脇役の君子の道である。最初は寂しいが、やがて生涯仕える人物に巡り逢って、終には喜びを得られる。脇役に徹するがよい。大地(坤)は天(乾)の彊(かぎ)りない性質に呼応する。
象曰、地勢坤。君子以厚德載物。
○地勢(ちせい)は坤(こん)なり。君子以(もっ)て德を厚くし物を載(の)す。
大地に大地が重なるように、万物を、その上に載せている。これが坤の形。
脇役の君子は、陰德を厚く積み上げて、あらゆるものを包容(ほうよう)する。
(占)全て陰爻の卦。人に当て嵌めれば、身体を養う衣食住だけを考え、心の德性に目を向けない象(かたち)。このような人は、何事も貪るように人から奪い取っても、汚らわしいとは思わず、卑しくケチ臭い性格で、恥知らずである。だが、この卦は本来「凶」ではなく、その人が無知蒙昧だから、物事に迷って凶運に至るのである。それゆえ、何事も調和することを心がけ、柔順に従い、人の先に立たずに、剛毅で明朗かつ見識のある人に随い、その教えを守れば、何事も成就するようになる。
○坤は「動静」の「静」の時。「静」であることが何よりも大切。
○人から命令を受ける立場の時。
○人に使われる立場の時。
○大勢の人と共同して利益を追求する時。
○器量に欠ける時は凶。 ○急速に事を計ってはならない。
○人に先んずることなく、遅れて行なうことは、柔順にして吉。
○万事、命じられて行なうがよく、自ら進んで行なうことはよくない。志を守ることができない人は凶。
○自分の職分を守って、妄りに動き求めなければ吉。
○散々苦労して、ようやく成功するという兆しが見える時。
○農家は田園を守って(本業を守って)、他の仕事をうらやましく思ってはならない。
○物価は安くなるので、買うと利益を得られる。
○柔和・温厚・安静・順直・謙譲・恭敬・貞節・丁寧など全て吉。
○大衆の時。 ○倹約する時。 ○卑賤で愚鈍の象(かたち)。
○吝嗇の象(かたち)。 ○偏執することがある。

初六
初六、履霜堅氷至。
○初六(しょりく)、霜(しも)を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)至る。
初霜(はつしも)を履む季節が来れば、やがて堅い氷が張る厳寒の季節が到来する。小さな悪事を見逃せば、初霜が堅氷(けんぴょう)に至るように、やがて大きな悪事に至る。
象曰、履霜堅氷、陰始凝也。馴致其道、至堅氷也。
○霜(しも)を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)とは、陰の始めて凝(こ)るなり。其(そ)の道を馴致(じゅんち)すれば、堅氷(けんぴょう)に至るなり。
小さな悪事に馴れてしまえば、やがて大きな悪事に至るのである。
(占)善悪の分かれ道に立つ時。善に進めば慶びと幸せを得るが、悪に進めば大きな災いを招く。小さな事が大きな事に発展する時。よくよく戒めなければならない。
(占例)某鉱山の採掘事業を占った。
明治二十一年冬、東京幸橋に居住する某男爵が来訪して言った。「わたしは最近採掘事業を興そうと思うようになった。鉱山に詳しい博士が【有益】だと保証している候補地があるが、子孫に負債を残すことにならないか、占ってほしい」。
そこで占筮したところ、坤の初爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
坤は全て陰爻で陽爻は一つもない。事業を統制する人が不在で、それぞれが自分の利益だけを考える時。
初爻は陰が最下に生ずる時、小人が私利私欲を貪ろうとして暴走しかねない象(かたち)。
乾を金に例えると、坤は金を得られない象(かたち)ゆえ、鉱山に詳しい博士が保証したとしても、信じてはならない。
初爻は小人が私利私欲に走って上司や父親の声にも耳を貸さない時だから、今の段階で手を引くべし。
男爵は、わたしのアドバイスに順って手を引いた。
その後、聞くところによると、鉱山に詳しいと称する博士が外国人と手を組んで利益が出ない鉱山とわかっていながら、騙そうとした詐欺事件で、事業に関わった日本人は大きな損失を蒙ったと云う。
この詐欺事件で多くの人々の起業意欲が削がれ、被害は小さくなかった。悪むべき小人の奸計だったのである。
 
六二
六二、直方大。不習无不利。
○六二(りくじ)、直方大(ちょくほうだい)なり。習(なら)わざれども、利(よろ)しからざる无(な)し。
乾の元氣を丸ごと受け容れて、真っ直ぐに、方向正しく、大きな力を発揮する。学ばずと雖(いえど)も、全て宜しく、すらすら事が運ぶ。
象曰、六二之動、直以方也。不習无不利、地道光也。
○六二(りくじ)の動は、直にして以(もっ)て方(ほう)なり。習わざれども利(よろ)しからざる无(な)しは、地道(ちどう)光(おお)いなればなり。
六二が動けば、真っ直ぐに、方向正しく、大きな力を発揮する。すらすら事が運ぶのは、柔順中正の陰德を備えて、坤の道を大いに発揮するからである。
(占)正直で嘘がなく、義理堅く人と接する。公平かつ大度量で世に処すべき時。多くの人から信用されて成功しやすい。
考えている以上の幸運を得るであろう。
運氣盛大ゆえ、この時を逃してはならない。
○人の先生となる兆しがある。
○沢山の人の上に立つ兆しがある。
(占例)明治二十三年伊藤博文伯爵の氣運を占ったところ、坤の二爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
坤は地。地の德は柔順、臣下の道。二爻は中正にして坤の成卦主。地は万物を載せてびくともせず、大海を溜めて漏らさず。太陽のエネルギーを受けて万物を生成する。
これを国家の要人に当て嵌めると、重責を負って、よくその任務に堪え、国家に天命を奉じて尽くす象(かたち)。
しかも二爻は柔順中正で臣下の道の德を具備している。それを称賛して「直方大(ちょくほうだい)なり。乾の元氣を丸ごと受け容れて、真っ直ぐに、方向正しく、大きな力を発揮する」と云う。
直方とは謹厳実直な人柄で事に処する方向が正しく、公明正大な人を言う。それは伊藤伯爵の天性。伯爵は大度量と大德を具えている。それゆえ、「習(なら)わざれども、利(よろ)しからざる无(な)し。学ばずと雖(いえど)も、全て宜しく、すらすら事が運ぶ」と云う。
二爻が変ずれば地水師となる。師は九二の一陽が成卦主であり、それ以外の陰爻を統制する象(かたち)。
今年の両議院の開設にあたっては、必ず伊藤伯爵が議長となって議会を統率して成果を上げるであろう。
六二の爻辞に「六二(りくじ)の動は、直にして以(もっ)て方(ほう)なり。六二が動けば、真っ直ぐに、方向正しく、大きな力を発揮する」と云う。
習熟しなくてもうまくいくのである。
(結果がどうであったのかは書いていないが、明治二十三年に伊藤博文が活躍したことは、同年十月に貴族院議長に就任したという史実を観ればわかることである。)
 
六三
六三、含章可貞。或従王事。无成有終。
○六三(りくさん)、章(あや)を含みて貞(てい)にす可(べ)し。或(ある)いは王事(おうじ)に従う。成(な)すことなくして終り有り。
能力を包み隠して、脇役(坤)の道を、常に固く守るべきである。時にはトップダウンの命令で、組織の大事を任される。事を成し遂げても才能を誇ってはならない。己を虚しく、脇役に徹してこそ、坤の役割を果たせるのである。
象曰、含章可貞、以時発也。或従王事、知光大也。
○章(あや)を含みて貞(てい)にす可(べ)しとは、時を以て発する也。或(ある)いは王事(おうじ)に従うとは、知光(ちこう)大(だい)なるなり。
能力を包み隠して脇役に徹する。時に応じて対処するのである。組織の大事を任される。六三の才能と智慧が光り輝くように偉大だからである。
(占)才能があっても、時運は未だ至らない。益々身を修めて才能と學問を磨き、時運が至るのを待つ時。
時機が至れば直ちに身を起こして事業を営なむべし。
始めは順調でなくても、その後必ず支援者が現れて成功する。自分は中心にならず見識のある人に従って事を為すことで吉運を招く。
また、「王事(おうじ)に従う」とは、必ずしも公共事業とは限らず、国家の利益となる事業は全て「王事」である。雌馬がご主人様に順うように勉強して怠らないことを要する。
○愚に徹して、智恵のあることを見せてはならない。
(占例)明治十九年、友人である柳田氏の氣運を占ったところ、坤の三爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
坤の時は、柔順だから、すらすら通るのである。彖辞(卦辞)に「牝馬(ひんば)の貞に利(よろ)し」とある。牝馬(めすうま)は重い任務を担って人の下で働く役割だから、労しても功はない。
また、「君子往(ゆ)く攸(ところ)有り。先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得(う)」とある。君子といえども、氣運が至らない時は、自ら進んで事を為してはならない。黙々と働いて報酬を頂くことに徹するのである。しかも三爻は「過ぎたる」位であるから、爻辞に「章(あや)を含みて貞(てい)にす可(べ)し。或(ある)いは王事(おうじ)に従う。成(な)すことなくして終り有り。能力を包み隠して、脇役(坤)の道を、常に固く守るべきである。時にはトップダウンの命令で、組織の大事を任される。事を成し遂げても才能を誇ってはならない。己を虚しく、脇役に徹してこそ、坤の役割を果たせるのである」と云っている。
「章(あや)を含みて貞(てい)にす可(べ)し」とは、今までは謙って己の才能を包み隠し、黒子として時を待っていたが、その才能を用いる時が来たので、大きな事業に従事することがある、と云うこと。
或いは、上司が貴方の能力に気付き、煩雑な事業を負担させようとして、権限を与えるので、貴方を多くの人が支えて、事業は進捗していく。それゆえ、調子に乗って多くの報酬を得ようとしてはならない。
坤の時は、全てが陰爻でリーダー不在の象(かたち)。
一生懸命働いても、誰も評価してくれず、事を成し遂げても、人に功を奪われて、名誉を得られない。それどころか、まったく苦労していない人に褒賞を奪われたりする。
坤の時は小人の勢いが盛んで利益を貪るので、誠実な人が報われない。
貴方の時運はこのようだから、陰德を積んで、しばらく時機が到来するのを待つべきである。
わたしは柳田氏に、今は「或(ある)いは王事(おうじ)に従う。成(な)すことなくして終り有り」の時。「終り有り」は、「やがて氣運が至る時を待って、事を為すべき」と伝えた。
その後、柳田氏は、某局の嘱託となって事務に従事すること五年、仕事は繁忙を極めて、編集者として功績を上げたが、その褒賞はいっさい断ったと云う。

六四
六四、括嚢。无咎无譽。
○六四(りくし)、嚢(ふくろ)を括(くく)る。咎(とが)もなく誉(ほまれ)もなし。
君主を脅かす地位に居る。袋の口をしっかりと結ぶように、才德隠して、愚人(ぐじん)の如(ごと)く振る舞うがよい。過ちは犯さないが、誉められもしない。
象曰、括嚢、无咎、愼不害也。
○嚢(ふくろ)を括(くく)る、咎(とが)なしとは、慎(つつし)めば害あらざるなり。
愚人(ぐじん)の如(ごと)く愼(つつし)むことで、迫害を免れるのである。
(占)俗に財布の紐を固く結ぶ時。貯蓄して散財しない。国益や民の幸福を考慮せず、守銭奴として終る。
○占った人が社会的地位が高ければ、卑しむべき内容の占い。
○普通の人が占った場合は、事無きものとする。
○言論を慎まなければ、被害を受ける。
○吝嗇(りんしょく)の謗(そし)りを受ける時。
○財産を無駄に使ってはならない。
(占例)明治十二年一月、大阪の五代氏に今年の商機を占ってほしいと頼まれたので、占筮したところ坤の四爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
坤は利益を追求する時。大衆が集まって私利私欲で争う時。
だが、四爻は陰爻陰位で進んで事を為そうとしてはならない時だから、今年は新事業に手を出して商売を広げてはならない。
「嚢(ふくろ)を括(くく)る」とは、財布の紐を固く結んでお金を使ってはならない、と云うこと。
財布を開かなければ損も得もしないが、財布を開いてお金を使えば、二度と戻ってこない。
だから、慎んで新事業に手を出してはならない。
五代氏はこの占いに感じたところがあったようだ。
しかし、商売の勢いに乗って新事業に着手してしまった。
氏は優れた商人であったが、果たして失敗したのである。
 
六五
六五、黄裳、元吉。
○六五(りくご)、黄裳(こうしょう)、元吉(げんきつ)なり。
乾の天子を補佐して、よく人に謙(へりくだ)る。大いに幸を得る。
象曰、黄裳元吉、文在中也。
○黄裳元吉(こうしょうげんきつ)とは、文中(ぶんちゅう)に在(あ)ればなり。
よく人に謙(へりくだ)って、大いに幸を得る。多彩な才德(さいとく)を包み隠して、時に中(あた)るからである。
(占)この爻が出たら、中庸にして柔順、温和にして功あっても、労を誇らない。恭しく謙遜し、篤実ゆえ、権力を手に入れても驕り高ぶることはない。その分をよく守り、終には大吉を得る。
だが、表に出ようとしている人がこの爻を出した場合、家臣なのに君主に刃向かい、妻が夫よりも早死にし、子供が親を侮(あなど)るなど、多くの人がその本分を忘れてしまう。慎しむべし。
(占例)明治二十二年、ある高貴な人(三條公と伊藤伯)の運氣を占筮したところ、坤の五爻が出た。
易斷は次のような判断であった。
坤の卦は全て陰爻であり陽爻は一つもなく、君子としての德を全く具えていない。君子からほど遠い象(かたち)である。
爻辞に「黄裳(こうしょう)、元吉(げんきつ)なり。乾の天子を補佐して、よく人に謙(へりくだ)る。大いに幸を得る」とある。
周公旦(しゅうこうたん)が宰相となって、幼くして武王を継いだ成王(せいおう)を補佐して政治を行なった。
天命に順い成王を尊崇し、黄色い衣裳を表にせず、下着として用いた。成王を補佐する立場であることを示したのである。
周公旦は忠信の心で篤く成王を敬して朝廷の政治を維持した。お国のために尽くして、自らは前面に出なかった。
周公旦のような慎みを失って自分が前面に出れば(裏側で支えるという役割を超えて、表舞台に立つことになれば)、凶となることを知っておくべし。
三條公と伊藤伯は、幼い頃から神童と仰がれ、長ずると共に藩政に抜擢された。その後は欧州に留学して、各国の政治や風俗に通暁している。
帰国してからは要職に就いて、職務に精通し、隠然として、大衆の希望を担っている。君子から遠いはずがなく、要職を解任されるはずもない。(つまり、表舞台で活躍すべき人物で、裏側から支えるような人物ではない。)
だが、今回占筮して、この爻が出たのは、理不尽な占いのように思える。
三條公と伊藤伯は久しく欧州に居たので、西洋の政治体制には通じているが、日本の国体について、詳しくないところがあるので、その心配が占筮に示されたのであろうか。
その後、憲法発布の日において、三條公と伊藤伯は暴漢に襲われるという災難に遭った。
わたしは、この時初めて、この易占が三條公と伊藤伯に朝廷から離れるべきことを示したものと分かって、驚嘆したのである。
 
上六
上六、龍野于戰、其血玄黄。
○上六(じょうりく)、龍(りゅう)野(や)に戦(たたか)う。其(そ)の血(ち)玄黄(げんこう)なり。
坤の君子が勢い余って龍のように振る舞えば、乾の君子が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍と坤の龍が決闘する。(陽の)黒い血と(陰の)黄色い血を流して、共に傷付くしかない。
象曰、龍野于戰、其道窮也。
○龍(りゅう)野(や)に戦うは、其(そ)の道(みち)窮(きわ)まればなり。
乾の龍と坤の龍が決闘するのは、坤の道も、乾の道も、共に行き詰まったのである。
(占)私利私欲をどん欲に追求し、人に被害を与え、自分もまたブーメランのように被害を蒙る時。自らの心を省みて私利私欲を取り去って柔順な心を養うべし。
血氣盛んで、直ぐに人と争う時でもある。自分の本分を守って、他から攻撃されても、争いを避けて応じてはならない。以上のように謹慎すれば、被害を免れることができるかもしれない。
○小人が善からぬ事(不善)を企てる時。
○相手も自分も共に傷付く時。
(占例)明治六年政府の氣運を占筮したところ、坤の上爻を得た。
易斷は次のような判断であった。
坤の卦は全て陰爻で陽爻は一つもない。君子の德を全く具えていない時でもある。今の政府は、多くの聖人君子が登場し、俊傑の人物が地位を得て、政務に参加している。それなのに、この卦爻が出たのは、誠に不思議なことである。
公の地位にある人々が国家を憂い、篤い忠誠の心から大事業に臨んで、威厳を隠さない(つまり、慎みが足りない)ところに、その要因があるのだろうか。
「龍(りゅう)野(や)に戦(たたか)う。坤の君子が勢い余って龍のように振る舞えば、乾の君子が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍と坤の龍が決闘する」とは、今の大臣や参議は、みな豪傑の才能を持つ非凡で卓越した人々ゆえ、まるで龍のように立派だが、国家の大事を論争して、意見が衝突し、互いに血で血を争うような事態に陥っていることを云う。
自分が何かを欲しても、思うようにならないのが人生の常。
それゆえ、お互い譲り合うことが大切である。
英雄豪傑が集まって、国家の大事を議論する時は、自分の意見が通らないからといって、憤慨や激怒してはならない。
占筮して、この卦爻が出たのは、大臣や参議が国家を憂う気持ちが深く、自分の意見が通らないことを憤る余り国家の体制を内側から崩し、外国から嘲笑され、国家の大黒柱と称せられながら、大衆から見放されつつあることに気付いていないのである。実に嘆かわしいことである。
そこで、この占筮の結果を三條公に伝えた。
明治維新という偉業を成し遂げた後、大臣や参議が欧米各国を視察して、近代国家としての日本の体制を定めるため、岩倉右大臣以下、木戸、大久保、伊藤、山縣という要人が欧米へ出発した。
視察に出た要人も国内に残った要人も、国家のために辛苦して日本の近代化を実現しようとしている。そこで、視察団が帰国するまでは、新しいことは行なわず、また、視察団の独断で欧米政府と条約を結ばないことを誓った。
しかし、視察団が帰国しない間、日本海軍(雲揚艦)が朝鮮国の仁川港(じんせんこう)を測量中、朝鮮国から砲撃されたことで、政府の議論が活発となり、このような国辱的な事件に対抗するため、一戦を交える(征韓論)と決定した旨、視察団に電信したところ、大久保公が帰国して制止しようとした。
だが、西郷を始めとする要人はこれに従わず、議論は激高し、岩倉右大臣以下視察団の要人も帰国した。
征韓論の可否は国家を二分する大議論となり、征韓論支持派が敗北して政府を去ることになった。
その後、明治七年に佐賀の変、同九年に長州の乱が起こった。
同十年には鹿児島の役が勃発して、(明治維新を推進してきた大久保と西郷が対決するという)国家的な不祥事を招いた。
爻辞に曰く、「龍(りゅう)野(や)に戦(たたか)う。坤の君子が勢い余って龍のように振る舞えば、乾の君子が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍と坤の龍が決闘する」と。
あぁ、善くも悪くも、易の将来予測は的中するのだ…。