六月二十一日の言葉 思考の三原則① | 心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司

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私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、いつも三つの原則に依る様に努めている。
第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること、
第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来得れば全面的に見ること、
第三に何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考える
ということである。(以上、安岡正篤一日一言から)


安岡先生の思考の三原則は、わたしの頭の中に完全にインプットされておりまして、物事を考えるときには、常にこの三つの原則に依って判断するようにしています。
第一は、目先に捉われないで長い目で見ることですが、ほとんどの人は目先に捉われて物事を考え判断しているように思われます。目先の事は大変にわかりやすく具体的です。それに対して、長期的な事、たとえば十年先、二十年先、場合によっては百年先の事というのは、なかなか予測することは難しく、どうしても抽象的になりますので、ほとんどの人がそんな迂遠なことを考えずに目先で判断してしまうわけです。目先で判断した事は、短期的にはうまくいくかもしれませんが、長い目で見ると必ずどこかでうまくいかなくなるものです。企業経営において目先の業績を向上させる事に躍起になり、短期的には業績が回復したけれども、人材の育成など長期的な対応を怠り、接客サービスなどが低下してお客様からの信用を失って企業価値を落としてしまったなどということがよくあります。たとえば、海外から敏腕経営者を招いて、大胆なリストラを行い、一時はV字回復などと持て囃されたけれども、その後は泣かず飛ばずの状態が続き、かつてのライバル会社に大きく業績を引き離されてしまっているN社などがその最たる例と言えるでしょう。
それは、わたし達の生活そのものに当て嵌まることです。目先の便利さ快適さを求めるあまりに、安易な食生活を送って体を壊してしまう例。何事もスピーディに済ませようと車の生活に過度に依存して、歩くということを全くしなくなり、脚力が衰えてしまう例など枚挙に暇がありません。
第二は、物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的(全面的)に見ることです。百人いれば百通りの価値観(物事の見方・考え方)があります。誰もが物事を自分の価値観で測りますので、どうしても一面的な物の見方になってしまいます。そこで、自分ひとりで判断せずに、出来るだけ多くの人の意見を聞くなどして、色々な価値観で物事を捉えることが求められます。そうやって、自分の偏った価値観による判断を中庸(バランスの取れた、ほど良い状態)にもっていくことで、物事を多面的(全面的)に見た上での適切な対処が出来るわけです。しかし、自分を押し通す人はこういうことが出来ません。ですから、もの凄く片寄った物の見方をして、判断を誤ることが少なくありません。どうでもいいことでしたら判断を誤っても影響はありませんが、ここぞ、という時に判断を誤ると取り返しがつかないことになります。カリスマ経営者が周りの意見を聞かずに判断を誤って倒産に導くということが時々起こります。人間、過信してはいけません。常に謙虚な気持ちでいたいものです。
第三は、何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考えることです。これは本当に大事なことです。しかし、枝葉末節に捉われて判断を誤る人が実に多いのです。なぜなら枝葉末節というのは具体的な現象として目の前に現れますが、根本・本質というのは具体的な現象としては現れず、地下に潜んでいるからです。ですから、どうしても目に見える枝葉末節に捉われ、目に見えない根本・本質を忘れてしまうのです。これは易経の陰陽相対理論で考えるとわかりやすいのですが、物事には目に見える陽の部分と目に見えない陰の部分があります。木で例えると、目に見える陽の部分は幹、枝、葉、花、実を指します。目に見えない陰の部分は根っこです。もっと実を増やそう、大きくしよう、きれいな花を沢山咲かそう、葉を沢山つけようなどとして、実、花、葉をいくら手入れしてもどうにもなるものではありません。枝を剪定してほどよいバランスにして、根っこから栄養が行渡るようにしなければ、実、花、葉は育たないのです。すなわち根本・本質を離れたら、何事もうまくいかないということです。
しかし、実際には枝葉末節に捉われてしまい、根本・本質を離れてしまうことが多いのです。地球温暖化の原因とされる温暖化ガスの排出を抑えようとしながら、経済活動も持続できるようなあり方を探ろうとする、などはその最たる例です。環境問題は根本・本質です。何よりも最優先されるべき問題です。それに対して経済活動というのは枝葉末節です。環境問題という根本・本質の上に乗っかっている問題です。経済活動という枝葉末節の影響が根本・本質である環境問題を引き起こしているわけですから、現在の経済活動を維持しながら環境問題の解決を図るなどということが出来るはずがないのです。
環境問題に対処する答えは一つしかありません。経済活動を抑制することです。人間の欲望を抑制することです。物質的人間から道徳的人間に価値観を転換することです。つまり、人間そのものを変えることです。それが根本・本質にあることを忘れて、環境問題を解決することは出来ないのです。