やっと読みました。

発売してからどれほど時が経っているのかしら。

買ったのは8ヶ月ほども前のこと。渋谷の紀伊国屋書店で。

雑誌を買う時はいつも勢い、何か助けを求めて勢いで買う。

 

田舎者の私はたまに行く東京への小旅で引くほど頻繁に書店へ足を運ぶ。

外へ出たならばとりあえずと向かう場所は必ず書店だなあ。

本との出会いが好き。

 

 

(なんで画像横になっちゃうの?)

 

 

『This!』と出会ってそれを買おうとしたのも、この雑誌に私を助けてくれる何かがあるんじゃないか、と直感的に思ったからで。

雑誌の表紙には書いてあった。

「どうして今、ここにいる?」「大人なんてたいしたことなくない?」

私が思ったらだめだ、考えては死んでしまう、と感じていた疑問がそこに。

 

 

アメリカから帰ってきて、カナダの大学へ行くまでの間、私は世間からしたら確実に『ニート』と言われる分類だろう。

学校に行きたくないわけでも、働きたくないわけでもない。

むしろ逆だ。

大学で勉強したい。将来ちゃんと働きたい。めちゃくちゃ思っている。

だけど肩書きは『ニート』だなんて、なんだか心外だ。

幸い、私のことを真っ向からニート扱いしてくる人間はいない。

ありがたいことに、少しは期待されているようだ。

 

 

 

『This!』は買ってからしばらく私によって開かれることはなかった。

単純に怖かった。将来何をするかはっきりしていない自分の未来を否定されるんじゃないかと怯えて読めずにいた。

本当に臆病な性格で嫌になる。

昔の自分はどこへいったろうか。

暇な時間が大嫌いで、いつも習い事やら塾やら趣味やらで大忙しだった小学生の自分が、眩しくて仕方がない。

進化したのか、はたまた退化してしまったのか。

後者としか考えられない今の自分に”嫌気”では言い表せないほどの嫌悪感を感じる毎日。

ダラダラすることに慣れるというのは本当に怖いことだ。ここ10年ほど、ダラダラに染まっている自分を認めざるを得ない。

 

 

そして昨日、やっと表紙をめくり自分と向き合う時間を改めてつくろうと試みた。

取り掛かってみるとすぐだ。

すぐ終わりのページへたどり着く。

自分は傷ついていない。

むしろ少しは希望を見出せた。

今までの人生で何度聞いただろうか、100回は超えるのではないか。

「世界にはいろんな人間がその数だけの人生を送っている」

みんな違って、みんないい。

十人十色。

0から100まで全く同じ人生の人間なんかいないのだから、比べなくていい。

アメリカで頑張って活躍している同年代もいれば、毎週末遊んでダラダラしている同年代や年上もいる。

要は自分次第なのだな、そういう結論を改めて出せたというのは、この本を読んだ甲斐があったということになる。

 

 

内容について。

表紙を飾るit girlは「水曜日のカンパネラ」のコムアイさん。

はじめまして、でしたね完全に。もっと視野を広げなくては。

コムアイは”KOM_I”と表記するようです。

 

1992年生まれ。J-POPユニット「水曜日のカンパネラ」の

”表面”担当。ライブでのパフォーマンスには定評がある。

今、最も期待度の高い女性シンガー。

 

とのことです。

私の姉と同じ年、で全く違う生き物なのでは?と感じるほど、コムアイさんには熱量を感じますね、ヒシヒシと。

そこそこ長めのインタビューで、私はかなりの親近感をこの人に抱いてしまっていました。

 

”自分の中には将来の目標……あんな仕事もしたいしこんな仕事もしたい、絶対いい人生になる、みたいなうっすらとしたビジョンはあるんだけど、たとえばサッカー選手とかって決めることには絶対なんの意味もないって感じがしていて。「そんなのなくても私努力できるし」みたいな気持ちがありましたね。

 

自分がめちゃくちゃこれです。笑

昔っからビジョンはあります。そして何があろうと努力できるんだって思いは高校生活を通してさらに自信を持てた部分でもあります。

でも、周りにはそういう人間がいなかった。

こういうことを公言してくれる堂々とした人間がいなかった気がします。

だからコムアイさんがそう思ってたと教えてくれたことで、私はやっと救われた気がしたなあ。

 

 

 

そして最後にグサッと一言くれるのです。

 

 

”やっぱり自分がパブリックな存在なんじゃないかな。みんなと交流して楽しめる気がするから。人生の前提として「いろんな人と関わらなければいけない」みたいな使命感があるのかな(笑)30歳になるのが楽しみです。”

 

 

私… 人と関わろうとして生きてきたかな?

いや、むしろ避けてきたような…?

 

中学でいじめにあってから、性格が曲がってしまったことは、嫌ですが認めなくてはならない事実で。それから人と関わるのが苦手になり、自分の意見もなるべく言いたくないなーと感じるようになっていたような気がします。

いじめなんて理由にしたくありません。格好悪いと思います。

でも、振り返ると認めないというわけにはいかないです。

 

でも、アメリカにいた時、自然にたくさんの人と交流できていた。

 

あれ?じゃあなんで”関わってきた”と感じないんだろう?

 

そう考えた時に、わかったことがあります。

例にあげて考えてみました。去年のハロウィン、友人のバースデーパーティーがサンフランシスコでありました。

私はお酒を飲んだことがなかったし、そのパーティーに来る知り合いといえばそのバースデーガールの子(2歳上)のみ。

新しい出会いが好きな私はウキウキして会場へ出向きました。

最初のほうはまだ良かったんです。

でもどんどん人数が増えて、全員が歳上(お酒もよう飲む)の中で、私は完全に萎縮しきっていました。

ああ、溶け込めない、どうしよう。

写真係になったり、おとなしくお酒を飲んでる人のそばでお水を飲んだり…。

なんじゃあこりゃぁぁあ!?!?!?!

私は一体何をしに来たァ!?!?

新しい出会い(交流)を求めに来たんじゃないんかいっ!!

正直かなり困った状態。

盛り上がっているグループに入れるわけもなくただ立ち尽くすのみ。

 

ああ、なるほどな。最初が肝心なんだ。

最初から自分が中心で話をするぜ!!ぐらいの勢いで皆さんを巻き込んでいく力がないとだめなんだ…。

あと、お酒飲めないのは仕方がないにしろ、その場の空気壊すような態度は禁止だ…。

35歳のオッサンにめっちゃショット勧められた時も上手くかわせずにめっちゃ嫌な顔して断って、唯一その場で友達だった子(BDガール)が代わりに飲んでくれたりして。泣

 

飲み会を断れないサラリーマンの気持ちがよーくわかった気がしたよ…(?)

人間関係を築くって多少なりとも自分のプライドやルールを変えたり我慢することが必要なんやなって、痛いほど、今更ながら、感じております…。泣

 

とにかくですね、私のダメなこの人生は、人間関係を築こうとしない自分にあり!!なんですわ。

「気づくのおせーよ!!!!!」という声が各方面から飛んできている気がします。

でも、このことに気づけた以上は、「プライド?んなもん知るか!!」ってな勢いでですね、とりあえず当たって砕けてみたいと思います。

 

 

今、この実家で不毛な時間を過ごしている間にも、どこかへ足を運ぶことで何か出会いがあるかもしれない、そう思って行動しよう。

本との出会いとほぼ同じだ。

新しい本との出会いのように、人との出会いにも常に期待しながら生きていこう。

ああ、コムアイさんありがとう。

私頑張るよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コムアイさんの話だけで長くなりすぎたので『This!』の話はまた違う記事で。

 

 

 

あ〜お腹すいた。

今晩は地元産のブリ!ヤッタネおねがい