晴れる屋まゆこです
ある日突然、親が倒れたことで
しばらくブログをお休みしていましたが、(なのにアクセス数が上がってるありがたさ)
「究極の状態」での心の動き、
その間の人間模様、
その間の出来事を私なりに記録
しておこうと思います。
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〜 お母さんを心配してるのか、お金の心配をしてるのか分からなくなった〜
長野の実家に乗り込んだ私と下の弟は、一緒にこの地獄を体験していた。
ここに私一人で乗り込むことを考えたら、それは無いな、、、というぐらい不安だらけの時間。
主治医の告知をまともに聞いて、もうお先真っ暗な気分になった。
治らない、治る病気じゃない、どんどん悪くなるだけ、どんどん、、、、。
もう心は重くズシーーーンと沈んでいる。
父と弟と私で外食をして実家に戻ってきたら、おもむろに弟が「保険の書類を確認してみよう!」と言い出し、これから必要なお金のことを整理することになった。
知らない、とにかく知らないのだ。母が一人で家計を管理していて何がどこにあって、どんな考えでお金を扱っているかが、それはもう全然と言っていいほど話した事がなかったし、
母の居ない家のあちこちの引き出し、初めて扉を開けることすら何か「主」が居なくなって魔法が解けた家の捜索をしてるかのようだった。
そしてつい最近、自分の保険書類を見直したという弟の集中力がすごかった。4時間ぐらいだろうか、母と父の関連の書類をかき集め、いらない書類を処分していったら、、
みえた。
みえてきた。
だいたいの年金の額と、生活費と加入してる保険が数件。
そして、お母さんの「お金に対するあり方」が。
もしかして、とは思ったけど、
日々日常のお金をやりくりをして困ってはいないが、いわゆる投資や財産を築く人では無かった、ということ。
そして、、
決定的だったのが、母が入っていた保険。
金利のいい時に入ったいわゆるお宝保険だったと思うけど、数年前に切り替えられていて「使えない特約」がいくつか付いている「だけ」になっていた。
行き先の見えないこの先の生活を支えるものが、お金という杖だとしたら、一体いくらかかってどうなるんだろう。。
心がドン底の私たちが、その気分の中でも動いて調べたその先に、またもや暗黒な気分が待っていたようで、弟がふとこんなことを言った。
「お母さんを心配してるのか、お金の心配をしてるのか分からなくなった、」
身体にタトゥーが刻まれていて一見ワイルドな弟のピュアなひとり言。
わかる、痛いぐらい弟のその切なさが分かってしまった。
お金に困らない自分になる「あり方」というのは普段セミナーでもやっている。
けれど、突然どん底に落とされフラットな考え方が出来ない頭は、見事なくらいにお金の心配とリンクした。
この先どのくらいお金がかかるんだろう。そして、どのくらいの耐久性があるんだろう。
「知らない、わからない」という暗黒の海に二人で放り出されたようで、
お母さんのこと「だけ」心配したいのに、お金の心配が絡んでくる。弟は、きっとこの切なさを思ったのだろう。
こうして、共倒れしそうになった感性の似てる私と弟に、翌日「救世主」が現れた。
つづく。