心屋仁之助さんが、

わたしたちが「生きやすい」ように、



いろーーーーーんな言葉を、

発信してくれる。



だから、本当に分からないことだらけの、

この世の中で、



つかむことができた、

数々の言葉。



でも、

その言葉を目の前にした時に、

すごく思ったことがあります。



こんにちは

晴れる屋まゆこですは



子どもが幼稚園に入ったぐらいから、

パートを探し始めました。



育児体験から「食べ物」に興味があった私は、

カフェやレストランや、

飲食の仕事に就こうと決めたのですが、



新聞広告で探したり、

ネットで探したり、


とにかく何かしたくて動き出した。

時給860円。



あるレストランの調理のパート。


忙しくて忙しくて、

たったひとりで仕込みを任される。



週4日で働いて、

人が減ったので、その分も手伝って、

週末は起き上がれないくらいヘトヘトになって、



その月のパート代は、

8万円弱だった。



なんか、すごく切なかった。

パートになったら、

こーんなに働いたのに10万円もいかないんだーーーしょぼん



昔、わたしが描いてた夢は、

何だったっけ~



もっと明るい未来じゃなかったっけ。



わたしの「価値」って、

こんなに低くなっちゃったんだ。。



その時まさに、重労働の1時間の対価が、

860円で、



これは何だろう?

どうしたらいいんだろう?



って思いながらも、

しばらく仕事を続けていた。



けれど、

心の奥には、

「なんか、おかしいぞ!」っていう気持ちはあって。



そして、そのパートを、

体を壊して辞め、



それから心屋のブログを、

ずっと読んでた。



そして、少しずつ、少しずつ歩み寄り、



お金を使う度に、

「娘に使ってあげたほうがいいんじゃないか」

「娘に残してあげるべきじゃないか」



という罪悪感とも闘いながら、

営業職の仕事をして、

前職のパート月収は、あっさり超えた。



でも、まだ怖かったな。

その仕事が辛かったから、

体よりも精神が疲れて。



そんな中、わたしは夫に詳細を告げず、

心屋マスターに申し込み、

京都へ何度も向かって。



自分にお金を使い続けた。



心屋塾を修了してから、

5か月後に、カウンセラー活動を始めて、

そこからは夢中だった。



そして、

その月から、

1年7か月後、

わたしの月収が7桁を超えて。



もちろんすごく勇気ある行動に出たけど、

好きな仕事で、自分をまるごと使って、

決めて動いて、



7桁超えた時、

涙がポロポロ流れた。・°・(ノД`)・°・



もう、無理なんじゃないか。

もう、わたしの人生このままフェイドアウトして、



体力気力共に、

こんなもんだ、こんなもんだと自分を納得させて、

どうにかこうにか生きていくしかないんだ。



そんな、不安の中で生きていたと思う。


━─━─━─━─━─

そう、


がんばってがんばって、

仕事をして、


雇われて、時間を拘束されて、

それに合わせる生活、


それで得るお金、。

というイメージが、

ずっと離れなかった。


━─━─━─━─━─


ぢんさんの、


「お金=労働の対価」ではないんだよ。


って、言葉は何度も何度も読んで、知っていた。



でも、それを本当に!納得できたのは、

実体験してから。



そんな想いも込めて、

今回の美~プロジェクト3期から、

お仕事を通して自分を表現できる、

稼ぐコースをつくりました。



お金に対する価値観も変えたい、

自分にどんな価値があるんだろう。





その思い込みから抜け出すには、

今までとは違うものに、

ありえないものにお金を使うことから。



労働で得たお金というのも素晴らしい。

けれど、

その労働ができなくなっても、

お金を生み出せるし、


自分には、その価値があるんだ。


と、実感させてくれた言葉だったな。




そう思う時の一歩は、

まず、自分にお金を使ってあげてください。



そして、それは、

もちろん、あなたが決めてください。






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