写真は、勤務小学校のきんもくせい。
きんもくせいの香りは大好き。
もう薄暗い中、約一ヶ月前の満開だった時、
胸一杯に吸い込んだ。
 
ほぼ毎年香るのに、記憶は上書きされず、
香るたびに小学生だった自分を思い出す。
懐かしさ、せつなさ、愛おしさ。
 
人生というものを深く考えた記憶はないけれど、
まだ魂に近かったせいか、「なぜ自分という人間に生まれてきたのか」というようなことを漠然と感じていた。
そして、自分の体と心が一致していないような感覚に陥ることがよくあった。
 
小学生の頃は、「いい子でなければならない」と思っていた。
そのくせ、「まじめ」と言われることがすごくイヤだった。
 
周りから褒められることがあると嬉しかったけれど、
どちらかというと、それで両親が喜ぶ方が私には重要だった。
 
とは言え、何でも真面目にやっていたかと言われれば、必ずしもそうではなく、どうしたら体育をサボれるか、よく考えていた。
 
実際、高学年になると、一度、足を「腱鞘炎」と診断され、それ以来、たいして痛くなかったときも体育を休んでいた気がする。
 
特に自分の気が乗らないことに関しては、ずるい面があった。
 
記憶にある限り、「人のもの」を盗ったこともあった。
その時の心がどうなっていたか、今の私には感じることができなくて、分からない。
 
たぶん、その時の自分に訊いても「分からない」と答えると思う。
 
別に両親が悪いとは思わないし、恨んでいるわけでもないが、
子どもの頃の私、特に中学までの私には、「いい子の自分を見せなきゃ」「優等生でいなければ」という気持ちが強く、プレッシャーやストレスもあったのではないかと思う。
 
ある人に、
「だから、学校でその仕事をしているんだ」と言われたことがある。
今のところ、ピンとくるようなこないような……。
 
でも、
こうして「子どもだった自分」の声に耳を傾けることは、
時に必要だと思っている。
 
ありがとうございました。
 
「子どもの笑顔とイキイキは、大人のイキイキから。」
こころの里カウンセリング 代表
 公認心理師・静岡県スクールカウンセラー
   山﨑里美