「満足しないもの」っておもしろいなと思います。

 

真っ先に浮かぶのは、「折り鶴」です。

たぶん、幼児のときに誰かに教えてもらったのでしょうけれど、

よく覚えていません。

母に教えてもらったような記憶がありますが、定かではありません。

 

それ以来、おそらく二千羽以上は折ってきました。

千羽鶴も何度か贈ったことがあります。

 

今も時々折りますが、

未だかつて一度も、

本気で満足する鶴を折れたことがありません。

 

いつも、くちばしや羽が微妙にずれてしまいます。

折り紙がきっちり正方形のものばかりではないので当然かもしれませんが。

 

かといって、一度に何羽も折るわけではなく、

ただ、ごくたまに折りたくなることがあるのです。

 

で、毎回「またここがずれた、悔しい」と思う。

 

そう考えると、私は何でも、

「満足しないもの」には、興味や関心が継続することが多いと思います。

 

仕事も同じです。

結婚前に貿易実務の仕事をしており、とてもおもしろかったのですが、

この場合、結果が目に見えて、ある意味「シンプル」なので、分かりやすい。

だから、うまくいけば満足感をを得られました。

もちろん、その一つ一つの満足感、達成感もモチベーションアップに繋がり、継続することがあると思います。

 

でも、今の仕事は、決して満足することはありません。

クライエントさんが自分を取り戻し、自らの人生を、もがきながらも笑顔でイキイキと生きていってくれたら、

それはとても嬉しいことです。

 

でも、私が、カウンセラーとしての自分に満足することはないと思います。

 

あったとしたら、自己満足です。

誤解を恐れずに言えば、何となく、いつも中途半端な感じがするのです。

 

たぶん、それは、

私は、

関わるクライエントさんの、ほんの一部にしか触れていないこと、

そして、それは流れる水のように、継続しているものの一部であること……だからかなと感じます。

 

また、他の視点から考えたら、

自分の未熟さ。

これに尽きます。

「在り方」です。


「心の専門家」と言われることに、そして、その言葉自体にも違和感がある理由のひとつだと思います。

 

ありがとうございます。

 

「子どもの笑顔とイキイキは、大人のイキイキから。」

こころの里カウンセリング 代表

 公認心理師・静岡県スクールカウンセラー

   山﨑里美