一日遅れましたが、どうしても書いておきたかったので・・・

私にとって『6月23日』は、普通の6月の一日でした。

 

沖縄の特別の日 6月23日

6月23日「慰霊の日」は沖縄県民にとって忘れることのできない特別な一日です

こんな意識が全くこれまでありませんでした。


一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産や、沖縄の文化財、自然がことごとく奪われた沖縄戦は、太平洋戦争で、唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験したという、まさに地獄そのものでした。

沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い、じつに94000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供です。日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。【転記】

 
私が、昨日強烈に印象に残ったのが、7時のNHKのニュースで映し出された追悼式での中学3年生の女子生徒の朗読。
SNSの投稿でも広がったと言いますが、感動しました。
そして、もっともっと平和について考えるべきだと心を揺さぶられました。
 

沖縄「慰霊の日」追悼式では浦添市立港川中学3年の相良倫子さん(14)が、曽祖母の戦争体験を踏まえ、平和の誓いを述べた詩、「生きる」を朗読した。

「平和とは自分の命を大切にでき、命を精いっぱい輝かせて生きていけること。戦争や平和について考えるきっかけになってほしい」との思いを込めた。【転記】

 
全文が載っていないかと、ネットで調べたら今朝のヤフーニュースでも取り上げられていた。

ぜひぜひ、何とも中途半端な話題ばかり取り上げているワイドショーとかでも、取り上げてほしいと思った。

私のように無知な大人がいる。

確かに、学校教育のなかで学んでいない。教えていない。あえて、近代史は避けて通ってきていたのかも・・・

 

全文を表記します。

 

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻腔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。

青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、ヤギの嘶き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今という安らぎとなり、私の中に広がりゆく。

たまらなくこみ上げるこの気持ちを、どう表現しよう。

大切な今よ、かけがえのない今よ、私の生きるこの、今よ。

73年前、私の愛する島が死の島と化したあの日。小鳥のさえずりは恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から噴き出す炎、幼子の泣き声、燃え尽くされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎のごとく、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

みんな生きていたのだ。
私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことなく思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。当たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島のすべて。

私は手を強く握り、誓う。奪われた命に思いを馳せて。心から誓う。

私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないことを。
全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すことを。

生きること、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ることを。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

あなたも感じるだろう。この島の美しさを。

あなたも知っているだろう。この島の悲しみを。

そして、あなたも、私と同じこの瞬間を一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっと分かるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
権力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はないことを。

平和とは当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。そして、この島に生きる、全ての命。私とともに今を生きる私の友、私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。

一人一人が立ち上がってみんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。

過去と現在。未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

 

そして、こんな記事も

朝日新聞のインタビューで、自らの祖母が集団自決の生き残りであり、祖父が「戦争中に日本に来た米兵」であることを明かした、りゅうちぇるさん。

祖母からは、戦争のときの話をよく聞いてきたという。

ツイートでは、「慰霊の日」を知らない人たちに向けてこうして発信することで、「どういう日かを知ってもらうだけで大きな一歩だと思う」とも語っている。

『うーとーとー』は沖縄の言葉で、手を合わせて祈る

 

どうしても記しておきたかったニュースでした。