
那須塩原の川で遊ぶ抹茶くん。
今日は、夏に家族で那須に行った時の写真をアップしますね。

友人との美術館ツアーに合流する前に、
私たちは前日に泊まっていた那須塩原でマス釣りをしました。

この季節、川での釣りはなかなか釣れないということだし、
電車で釣り道具を持っていくのも大変だったので、
川のほとりにあったマスの釣り堀で釣ることにしました。

都会の釣り堀と違って、山間の川の流れの音を聞きながら、
他にお客さんもほとんどいなかったので、
とっても静かに釣りを楽しめました。

釣った分だけ払わないといけないので、
抹茶くんに、一人二匹ずつ食べる分だけ釣ってもらいました。

それを釣り掘りのおじさんが目の前でさばいて、
塩焼きにしてくれるのです。

自分たちで釣った魚を食べられるのは嬉しいですね。
特に釣れたての塩焼き、抹茶くんも大満足でした。

その後は、河原に行って抹茶くんとパパは、石飛ばし競争。
私は足を水につけてリラックス。

それから、遊歩道を歩いて滝のあるところまで行きました。

最後に、吊り橋の手前にある見晴らし台のベンチでおやつタイム。
のんびり自然を満喫できるのは最高でした!
それでは今日は、水にちなんだ記事をお届けしますね。
<心元気メール> No.160 2011年9月6日 発行人:リジョイスY.C.
◆◆渇きをいやすもの◆◆
「富は、海の水に似ている。
それを飲めば飲むほど、喉が乾いてくる。」
これは、有名なドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーの言葉ですが、
なんとまあ、うまく言い表していることかと思いませんか?
豊かさに関しても、私たちは豊かになればなるほど、
「もっと豊かになりたい」と思う傾向があるように感じます。
たとえば、今から30-40年前の日本を振り返るなら、
きっと多くの人は、今よりずっと質素な生活をしていたのではないでしょうか?
少なくとも、私の場合はそうでした。
よくテレビで、30年前や40年前の日本の様子が出てきたりしますが、
そういうのを見ていると、
「そう言えば、あの頃は・・・、あれもなかったし、これもなかったんだなぁ」と思います。
でも、誰でも周りの人を見ているうちに、
「もっと豊かに」「もっと豊かに」という気持ちが出てきて、
少しでも前の状態に戻ると、とても不便に感じてしまうのです。
そして、「豊かになれば、幸せになれる」、
つまり、「豊かになれば、満足できる」と思い込んで必死に豊かさを追う生活。
でも、そうやって、限度なく富や豊かさを追い求めても、
喉の渇きは癒されず、心は満足することができない・・・
まるで、真に喉をうるおすことができるのは真水なのに、
「海水で喉の渇きが癒される」と思い込んでいるようなもの。
そんな気がしてなりませんでした。
そう言えば、喉が渇いている時に、甘いジュースやコーラを飲む人がいますが、
そのような飲み物は、よけい喉の渇きを助長し、
「もっと飲まなければ」という気持ちにするそうです。
本当に喉の渇きを癒したいなら、真水が一番なんだそうです。
これは、本当に魂の渇きを癒したいなら、
表面的な豊かさや富、または、趣味とか、誰かの存在に頼るのではなく、
真に心を満足させることができる純粋な神の愛と真実を、
「魂に飲ませる」ことをしなければならないことと似ていると思いました。
そのことについてイエス・キリストは、
井戸端で水汲みをしていた女性にこんなふうに語りました。
「この水(井戸の水)を飲む者は、だれでもまたかわくであろう。
しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」
(聖書 ヨハネ4:13-14)
そして、その水とは・・・
「人を生かすのは霊であって、肉はなんの役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」 (聖書 ヨハネ6:63)
もし魂の渇きを感じているなら、ぜひ、聖書の言葉を試飲してみてください。
最初は、今まで飲んできた飲み物と違うので、味気なく感じるかもしれません。
でも、その純粋な水は、何よりも魂の健康に欠かせないものなのです。
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