ちょっと先日へこむことがありました私です(´・ω・`)

 

先日、心の支えがひとつどこかに行きました。

たとえるなら、結構信頼していた幼馴染のような人が、新興宗教にハマって

どうしようもなくなった感じ。気づいたころにはどっぷり漬かって、

上納金もたくさん貢いでいるような。

 

明らかに周りからみたら詐欺まがいでおかしいのに、本人はそれをずっと

信じていて手を出せない。

もちろん本人の責任ですし、こちらがなにかをする必要も無い。

けど、なんか遣る瀬無い…

そんな、どうにかしたいけどどうにもできないところにぶちあたったりしている中で感じたこと。

 

その宗教の人を先日幼馴染に紹介されたんですね。会ってと頼まれまして。

そのときに、相手の人と会いましたら、もう会話をなにも覚えていないくらいに何も感じれなかったんです。

 

社交辞令と虚しかないような。会話がなにもかみ合わず、そのどこにも真実がないような。

ただ、それは私自身が宗教の人だからということでブロックをつくってその人を見てしまっているのかなぁと

その場では思っていたのですが。

 

そのあと。もうほぼ心からしか話をしない素晴らしく熱い男性とお話しする中で、

「自分の感覚を信じろ」というハナシが出たんです(´ω`)

 

この世には色んな人がいます。信じる人も裏切る人も。こっすい人もそうじゃない人も。

合わない人も合う人も。他人の足を引っ張る人も、引き上げてくれる人も。

あらゆる価値観の人がいるからこそ

 

「付き合う人、大事にする人は選びなさい」

「ちゃんと人を見極める目を養いなさい」

 

じゃないと、本当に大事な人に使うエネルギーがなくなる。

どうでもいい人に疲れ果てて、本当に好きな人を大事にできなくてどうするの?

意味ないでしょそんなことに。

 

本当にそうです(´ω`)

そんなことに精神を使うほど、人生は長くなく。

 

だからこそ、自分を信頼して、自分の感覚を信じて。

どうでもいい人とは付き合わない勇気を。

本当に大事な人を大事にする心を育てて。

 

それが、自分主体で生きるっていうことでもあるんですよね(`・ω・´)

自分が被害者にならず、自分で選んで決めて生きていく。

 

ね♪

楽しく生きていきましょう(´ω`)