★前者後者は、隠れ蓑 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

仁さん、前者後者のこと改めて記事にしてくださってありがとうございます。

以前話題にあがった時、どうしても前者か、後者か、後者の皮をかぶった前者か、前者ぶりたい後者か、結局自分がなんなのかわからなくてモヤモヤした気持ちをどこか隅に抱えてました。

わたし、めっちゃがんばれば自分や他人の合格点を越えられたし、がんばんなくてもできることあるんです。今は自分のことは能力のある後者だと思ってます。

能力は関係ないと再三言っているのに、論理的に説明できる後者がいる!=大概の後者は論理的に説明する能力はない、と言われてる気がする。侮辱だっ!って勝手に被害者だと思ってました。いや、今もまだそう感じてしまいます。

能力が関係ないなら、論理的に他人に物事を説明する能力や人の言っていることを理解する能力に特化して優れてる人もいるはずなんですよね。

やっぱり前者の冗談とか悪意とかわからないし、振り回されていて、苦しいな~と感じてしまうんです。
だから、もう前者と後者のお話しは救うはずの手段なのに、それが元で苦しいなら、もう考えるのをやめるのも一つの手かなと思ったんです。

前者のルールで生きて苦しくて、だから身についたこの疑い癖。言葉通りに受け取ってしまうと痛い目にあってきて、自分を守るためについたこの方法はもう今のわたしにはいらないんです。

高校時代から付き合いのある友人と会ったんですが、話をしていて苦しいんです。前の自分を見ているようで。同じ考え方をしてたんです。
これが仁さんの言う過去の自分なのかと身に染みて感じました。
その友人たちは嫌いではないです。ただ、過去の自分が透けて見えて……それが苦しいんです。
友人を否定したいわけじゃない。
ただ自分を否定したいんです。

こう書いていて、まだ自分のことを蔑ろにしている自分に気づきました。

わたしが苦しいのは前者とか後者は関係なくて、自分のことを大切にしていないからなんですよね。

なんか、前者と後者を隠れ蓑にして、周到に本質を避けている自分……
そしてそれを餌にしてまた自分を責めてて…

それでもOK!
そんな自分でもOK!

ってことにします。

まぁ、いっか。

独り言でした。

 
 
 
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ありがとー。
 
まさにそう
 
 
昨日も書いたけど
 
 
 
なんでも
「自分責め」の材料に
使ってしまうと
 
 
本質が見えなくなるね。 
 
 
だからわたしはダメなんだ
わたしなんてダメ
 
そして
「そう言われてる気がする」 
 
 
 
 
  あなたの話は、前者後者じゃなくて、劣等感。そもそも、頭真っ白にならないののら前者だって、山ほど言ってるよね。
 
 
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で、これ、「後者=できないひと」と言ってるのと同じ。
 
 
これは
前者後者ではなく
「出来ない」と子供の頃から言われ続けたあなたの思い込みの問題なんだよ。 
 
 
 
 
 
 
そんなに自分を責めないで
あなた以外にあなたを責めるひとは
ほんとバカいないのだから♬
 
 
 
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