子育てで気になっていること

 

パートナーシップで気になっていること

 

これって、実は、根っこにあるものは同じだったりする。

 

 

起こっている現象は違えども

こちら側(私)が変化していくと

不思議と気になっていたことが気にならなくなってくる。

 

相手は、変わっていないのに。

 

 

何かに悩んだり、気になっている時

そこから先への不安や、心配があったりする。

 

 

今、見えている現象が、この先も続いていくように感じ

恐れが湧いてくる。

 

いわば、未来への不安

 

 

「例えば、子どもの気になる行為があって

このままだと とんでもない大人になるんじゃないか」

 

と、心配や不安の目で子どもを見ている自分がいる。

 

 

この先、その気になる行為が

ずっと続くのかどうかなんてわからないのに

これが、ずっと続いていく、そうなったら大変だ!

友達ができないんじゃないか、

仲間外れになるんじゃないか

人とコミュニケーションが取れず、孤独になるんじゃないか

そうなったら、社会の中で生きていけなくなるんじゃないか、と

 

気になりだすと、膨大に膨れ上がっていく心配や不安

 

そうして、これらの不安材料をもとに

 

目の前の子を変えなければ、この子が困る!

 

と、変換されていく。

 

 

もっと、言うと

 

この子が困る= 私が困る

 

との変換になっていくのだ。

 

 

これ全て、想像の世界。

 

 

今ここを離れてしまっているが故の捉え方。

 

 

「今、目の前にある」のが現実なので

仮に、気になる行為があったとしたら

その行為の何が気になるのか、を考えればいいだけだから。

 

 

その行為に”反応”した私がいて

行為を通して、私自身が大事にしたいことがあり

大事にしたいことを大事にできなかった

あるいは、大事にしてもらえていないと感じてしまったから

不快な気持ちが湧いた。

ただ、それだけのことなんだ。

 

 

行為と、存在を分けて考えること。

 

 

 

目の前の子ども自身にも、私と同じように

大切にしたいことがあって

理解して(わかって)もらいたいことがあって

それを訴えているだけかもしれない。

 

 

シンプルに、今、〇〇が嫌なんだ、苦手なんだ、と

伝えているだけかもしれない。

 

「あなたはそうなんだね、気になるんだね。」

 

ただ、それだけのことなのかもしれない。

 

 

なのに、その行為や言葉を受け取る大人が

シンプルに受け取らず、

大人側の勝手な解釈(自分の価値観や経験から生まれている解釈)で

子どもを見てしまうと、

 

大人から見た 困った子 になってしまう。

 

 

困った子なんて、この世の中には存在しない。

 

 

別な側面から見れば、

 

自分の好きや嫌いを言える

自己表現のできる子なのね〜 にもなるし

 

敏感で繊細なところがある子なのね、にもなる。

 

 

いわば、個性だ。

 

 

これは、子どもに限らず、大人みんなにもあると思う。

 

 

みんな得意、不得意があって

好き、嫌いがあって

何かができる、できないがあって

できる人が、できない人を助ければいいし

できない人は、できる人にお願いすればいい。

 

 

自分の長年創り上げてきた価値観や、正しさの中から

世の中を見ていたら、偏っていることに気づく。

 

 

人の数だけ、正しさがあって、異なりだってある。

 

 

自分と違うものに出会った時に

大抵が反応を起こす。

 

 

自分や相手を攻撃したり、そこから逃避したり

 

自分を守る為の正常な反応なのだけれど

私は、この2択ではない

もう一つの道があることを伝え続けてる。

 

 

あぁ、私とこの人は違うんだなぁ。

 

私は、こう言うところで反応をするんだなぁ、

そっか!

自分が思う◯◯であるべき、とか、正しさから

相手を見ていたな、

 

私は、相手のように考えないけれど

相手にとっては、これが慣れ親しんできた捉え方なんだね、

 

そりゃぁ、ぶつかるわね、互いの正しさをぶつけ合っていただけだもの。

 

お互いに

わかってほしくて、理解して欲しい気持ちがあるんだね。

 

 

ひと呼吸おいて

客観的に自分を観察し、相手を観察してみると

いろいろと視えてくるものがある。

 

 

自分が決めつけ、思い込んできた小さな世界があることに

気がつける。

 

 

自分が大事にしたい世界があるように

相手にも大事にしたい世界があるんだなぁ。

 

 

子育ても、パートナーシップも、根っこは同じ。

自分自身とのパートナーシップを育んでいくだけ。

 

 

自分が自分を扱っているように、外からも扱われます。