神社とか、お寺とか、そういうんじゃなくて!

人に対する崇拝癖のことです😅

今日のblogは、長いよ~😭
読みたい人は、じっくり読んで、精神や心の領域を、浮遊してみてね🤭

読みたくない人は、リターンしてください😅




『すごい人』の、基準は何でしょうか?

自分が『すごい人だ!』って思っていても。
人からみたら。『え、どういうこと?』。。な、かたもいるし、『ふーん。。』なかたもいる。

『すごい人』っていうフレーズには、必ずと言っていいほど『自分よりも』というフレーズが () 付けで入ってる気がします。

↑この、『自分よりも』が、腑に落とせるか落とせないかも重要なポイントだったりする。




『すごい人』という認識をもった場合、精神的な部分や、意識の部分で、どうなってるかというと。。。




一自己否定一
『自分なんかダメダメ』という、ガチガチの『自己否定』が存在している場合がある。その『自己否定している自分』を認めるのが、一苦労なんです。認めるというか、まず、見つけるのが一苦労かも😅

一自己肯定一
もうひとつ。
『自分もすごいんです』という、ガチガチの『自己肯定』が存在している場合がある。その『他人にすごいでしょ~ってしている自分』を認めるのも、一苦労なんだな。こちらも、まず、見つけるのも一苦労😅


どちらも、もっと、俯瞰してみれば、、、

『承認欲求』からくるもの。


自分の『今の在りかた』を
自分が『認める』ことができていれば


自己否定も自己肯定も
『どちらでもいいか。私が私であれば』
という認識も生まれるかもしれない。



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と、最初に、悟ったようなこと書いてる🤣

実は、どちらも、実体験&実体感済みなこと😅






20代後半まで、自己否定の固まりだったこと、私は自分で認めていませんでした。

口で、他人に『自分のことが嫌いで、どうしたら好きになれるかわかりません』って、言っておきながら😅←これを、自己否定しているという、認識がなかったんです。

しかも、最初は、母親に投影までしてました。とにかく『母のことが嫌い』と、言ってました。『友達親子なんて、あり得ない』とかね。そこから、『あ、自分のことを嫌いって言っている?』と気がついて。だけど、自分のこと嫌いなわけないよな?と、葛藤の日々が。。。10年ぐらいはあったかな~🤣


何故なら、心の奥底には『自分のこと好き』があったから。


中途半端な自己否定は、いろいろと、ややこしく😂
いわゆる、立派なアダルトチルドレン👶
これを、認めて、受け入れるに、有した時間は。。。。
15年ぐらいかけてるかな😂⏫は、アダルトチルドレンな自分との決別というか?許諾?の記録。


アダルトチルドレンだった私は、自分の中で『この人、すごい!』って認識した人に対しての、崇拝ぶりは、凄かった😂『すごい人が言うことは、絶対的な素晴らしいこと』という、思い込みが強かったので。立派に依存する人に、なっていた。(依存していることに気がつかないでいたけどね😅)


自己否定が強いと、『すごい人』認定をした人に対しての『依存』をしやすい精神状態になりやすい。その場合、意図せず『洗脳状態』になりやすかったりする。『洗脳が解かれた』とき、超がっかりする。何に、すごいと感じたんだろうか?っと。


もっと、わかりやすい例えで言えば。。。

憧れのミュージシャンがいて、その人のファッションや歌に熱狂するようになる。大ファンになる。
そして、テレビやラジオではない、実物と会えるライブに参加することを決める。そのアーティストが好きそうな格好を真似てライブへ行き
『人間らしさ』を知るMCを聞いて。。。
『あ。。。普通の人やった』と、少しがっかりする。

↑分かりやすく、例えたら、こんな感じ😂


『自己否定』が強いと『すごい人』認定した人に対して、『神格化』したような『演出』が、自分の中に生まれる。
もし、自身の『自己否定』に気がついていなかったら。。
『すごい人』は、『偶像崇拝』の対象に(勝手に)なっていく。


⏫ここまでが、今の私がわかる、『自己否定している場合』の崇拝癖までの道のりみたいなやつ😅


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今度は、その『自己否定』の反対で『自己肯定』の場合の崇拝癖について🌟

こちらは、セラピスト活動を始めた頃の話(約6年前だな。)
全く業界も知らず、畑違い?似てるかな?な、所へ飛び込んだ私。(この頃は、上っ面だけ、自分好きを必死にやっていたかもしれないな😅)

『自分で仕事をする』ことが、わからないまま、
『オーラソーマでコンサルテーションして、自宅サロンやる!』っていう、完全なる勢い任せ🤣自分のことを、知っていく、すごいツールなんだよ~‼️って、言いたいだけだったかもしれない😅(今は、色んなツールを得たので、どれも、すごいツールです🤭このときは、オーラソーマが唯一、絶対的なツールだ!って、思い込んでいた😅)

たいしたコンサルティング技術もないのに😅
カラーに対する知識だけは、苦労せずとも、すんなり口から出てくる。覚える必要がなくて。内側にある自分の感覚を述べたら、その色味だったりする。

技術はないけど、知識と感性はある。(今だから、ハッキリ述べるけど💦)

それが、自分の『素晴らしいところ』っと、認識していて、天狗になっていたころ。(当初は、受け入れれてなかったな。今は、受け入れてるよ👍️技術ないけど、知識と感性はあるってね😁)


自宅サロンを始めたばかりだから、『知ってもらう』ために、オーラソーマのカラーボトルに関することや、自分の気付きを、なるべく、毎日、あげていた。

だけど、誰も来ない日々が過ぎる😅
セラピストとして、ひとつだけのメニューだと、足りないかもしれないなと、思い始め、、、あれやこれやと学び始める。

学びながら、自分に気がついて行くことも多いから、それをblogに綴る。徐々に、自己肯定感は、上がりだしていく。

学びの先々で、先生がたから『本当にわかってる?』と聞かれても『これができてる私って、素晴らしい』って、妄想してるから、(本当はわかってないのに)『はい!わかってます』って、安請け合いの返事😅
セッション経験少ないのに、ただ、知識を得ただけで、『わかってます』と。どれだけ、浅はかな理解なんだと、今は、突っ込める🤣


自己肯定感をあげようと意気込むことで、
『自分は素晴らしい』っという、思い込みが生じる。
ひどくなると『自分が(他のセラピストより)優れている』と、勘違いを起こす。平たくいうと、『自分自身を神格化』しちゃうのである。


そうなると、それまで自分が『すごい人』と認識していた人を崇めなくなる。むしろ『すごい人より、私はすごいの!』って、周りにわかってもらおうとする心が生じる。


『自己肯定感が強すぎる』と、『自分の素晴らしさを認めてよ~』って、周りにお知らせしちゃうのである。


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自己否定は、いきすぎると、他人を神格化してしまう。
自己肯定は、いきすぎると、自分を神格化してしまう。




どちらも、『承認欲求』から生じる現象でしかない。

この、『承認欲求』は

『自分で自分の在るがままを、認めてよ~!』

という、魂からの叫びだと、私は思うのです💦


。。。。と、少しだけ意味不明な感じで、このblog、終わります😂(基本的に、書いてて、つらつら出てくるものを、書き出してるんですが💦もう、頭?内側?からつらつらと、言葉が涌き出て来ないので、書く必要がある部分は、書き出せたようです🤣そういうことにしといてください😅しかも、誰に向けて書いてるかも、よくわかりません。。。が、たぶん、自分のためなんだと思う次第です😅)


長文、読んでいただき、ありがとうございました🍀
書いたらスッキリした🤣不思議な現象だ🌟🤣