感無量の木登り | 心の風景

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心のあり方や生き方をテーマとしたエッセイなどを載せていきます。同好の方と交流できればうれしいです。

最近、枝切りのをよく書いていますが、今度は自宅の雨樋に覆いかぶさる枝の伐採です。落葉で雨樋が詰まるかもしれませんからね。

 

そのため久しぶりに脚立を出しました。危なっかしいのですが、手が届かないので仕方ありません。

 

けっこう調子よく枝を切っていきましたが、ふといたずら心が顔を出し、そばの木に乗り移ってみました。地面からは登れませんが、脚立からなら何とかなるのです。

 

ここで落ちてけがでもしたら、ただのバカですので、慎重にやりました。太い木なので、私が乗っても大丈夫です。木登りなんてもう何十年もやっていないかもしれません。

 

乗ったからといって、どうということはありません。景色がいいわけでもありません。でも、一つ思い出したことがあるのです。

 

小学生の頃住んでいた家の庭には、まだ若い杉の木が生えていました。私は「あの木に登れるようになればいいな」と両親に言っていたのです。

 

当時近所の多くの男子は当たり前のように森で木登りを楽しんでいました。それが家の木でできれば最高だと思っていました。その杉はまだ細くて登れそうもありませんでしたが。

 

先日登ったのは杉ではありませんでした。そして両親ともすでになく、私の体も木登りなどうまく出来る状態ではなくなっています。

 

それでも庭の木に登ったことは間違いないのです。小学生の頃の願いがたまたまこんな形で実現したんですね。