生きているということ
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私は母親から人間として扱われていない
自分が満足するための「道具」でしかない

どんなに自分が間違っていることでも
「道具」にたしなめられる事は絶対的にプライドが許さず
鋭い言葉で私を切り裂く

すぐに自分が吐いた言葉は都合よく忘れ
切り裂かれた私が荒んでいようと
そのきっかけに詫びることなく私の人格を否定し
逆に自分を「可哀相な人間」として悲しみに浸るナルシスト

ただ床が汚れている事を言っただけで
想像を絶する暴力的な言葉を返す
とにかく「道具」に自分を言われる事が許せない
なんの事はない、目についたことすら
「道具」から自分に落ち度があるような事を言われるのは許せない

自分が母親になるための「道具」
母親らしいことをしていると満足するための「道具」
自分の老後を世話させる「道具」

自分のための「道具」
人格など必要無い

人間としてみていない
自分の「道具」はこうあるべきという枠から外れる事が許せない

物心ついた時から傷付けられて来た
未だに傷付けられている
ここ数年は関わりたくなくて死にたくなるばかり

生きるのが苦痛
関わらなきゃならないのが苦痛

愛情というものを知らずに死んで構わない
あのナルシストの女の「道具」として生きるのはもう嫌だ

私は人間なんだ

ぬくもりも知らずに育って
他人と生活することなど望むはずもない

独りでいるのが楽だった
もう辛い思いをせず
痛い思いをせず
静かに死なせてほしい

私はあの女の「道具」でしかない
母親と関わるたび死にたくなる
生きているのが苦痛になりいつも泣く

生まれてしまったことが凄く辛い
寝ていても立っていても座っていても

小さな地震を感じるかのように
揺れているのは何なんだろう
死ぬのを心待ちにしている
死んで何を後悔するかと思う

むなしい思いをするために
頑張って生きている今を後悔すると
それしか浮かばない

生きているのが悲しい
元気なふりをして
楽しく遊んでるふりをして
さらにむなしくなっている

本当に望んでいるのは
ずるずると苦しまずに死ぬこと

それだけ
人を煩わせず死ぬこと
この世を終えること
このくだらない思考の持ち主を
この世から消すこと

皆生きたくて生きているのだろうか
望んで生きているのだろうか


こんな醜い心が生まれるのなら
生きていなくていい

生きる意味がわからない

最近同じ内容の夢を見る
飼っている文鳥2羽が死んでしまう夢である

子供の頃から20年、計5羽の文鳥を飼っていた
夢に出てくるのは最後に居た2羽である

いつも、私が鳥たちに気を遣わなかったことが原因で
死なせてしまっている
その度「自分は冷たい人間だ」とハッとし、目が覚める

昔、籠の中で悲しそうにしている文鳥たちの夢をよく見た
私の後ろの守護霊と話しが出来るひとに聞いて貰った時
それは今のあなた自身をさしていますと言われた

その時私は暴力で男に別れる事を拒まれ
家を出ることが出来ずに居た
夢を見るたび、文鳥たちへのざんげで苦しい思いをしたが
その夢は確かに私をさしていた

鳥たちが死んでしまう夢は何だろう
突然の、身内の不幸を予知しているのだろうか

不幸なら自分の死でありたい
生まれた意味を理解出来ず苦しむ悲しい魂を
もう一度あの世に送り込み後悔させるべき
この不幸な命と生まれた意味がわからず苦しむ魂を
もう一度あの世に送り込み何をしたかったのか思い出させるべき
前世で恋人か、夫婦関係にあった人が身近に居る

恐らく確率の低い巡り会わせなのかと思うが
どこか冷めてる私が居る

良縁なのか腐れ縁なのか
いま、望んで
同じ時代、国籍、地域に生まれたのか
私にはそんなことわからない

ひとつわかることは
あの人とずっと昔に
深い関わりがあったらしいと知ってから
その人が嫌になって仕方なくなった自分が居るということ

なのにふと思い出す
思い出すのは、あの人の念だと思ったりする
念を飛ばして、思い出させてるように思ったりする

何故なら奴は、自分の前世や相手のオーラや
周りに浮遊する霊を見る力を持っているからだ
家系なのだ

私と昔、関わりがあったことも
自分で気付いたようだった

私は別の人からそれを知った
しかし奴は自分で、それを思い出した

間違いはないようだ

でも、だから何なんだろう
奴は色んな事を見たり思い出すことが出来るのだろうが
私にはそんな能力はない
その昔、何があったかもわからない
どんな時代や国に生きてたのかも知らない


今は全く別の人と一緒になりたい

NHKで、死刑執行室の全体図を放送していた
執行方法は、「私は貝になりたい」の映画と同じだった


その昔私は死刑制度の廃止に反対し、自分が身内を殺された側とした時
犯人を絶対に許せない、自分が殺してでもかたきを討つとまで思っていた


キリスト教も仏教も「愛」を唱えている
他の宗教にも「愛」を唱えているものはたくさんあるんだろう


「許す」ことはとても大きな愛だと思う
愛を持って生きるということは、とてもむずかしいと思う


自分の罪と、相手の罪
相手の罪を呪う自分の罪


愛とは許すこと
許しつづけること


たとえ大切な人を殺されようと、たとえ自分が殺されようと、
その人を憎まず愛を持って許せたら、それはとても大きな愛の人だと思う


神は自分が張り付けにされても許した・・・ という話だったように記憶する


その昔私も私の守護霊に、「愛を知りなさい」と言われた

生まれたい魂はたくさんあるのに
私が生まれるに選ばれた意味がわかった気がする

人を傷付け傷付き

生き地獄に苦しむため
人知れず苦しむことで償うため

生まれる目的は
生きて苦しむためだと思う

もう生まれたくない

そればかり
辛いばかり
夢もなく
先を案じて悲しむだけ

不安と
生きている後悔と
私がこの世に生きていることへの詫び

目的を達成したら
すぐに消えることが出来ればいいのに

平然を装うことの苦しみ
それも私が望んだことなのだろう


いつ
この世を終えることが出来るのかな
最期は肉体的に苦しむのかな

そうなったら
それも前世の償いなのだろう

恐くはないが
誰にも迷惑をかけずに終わりたい

生きることは辛く苦しいのに

なぜ魂は生まれたがるのだろう


私が今世に生まれた目的は

もう生きることを懲りるためだと思う


希望ある生まれたい魂に道を譲るために

もう生まれて来ないために