あいつと別居している母から朝5時半に電話がなり、飛び起きた。
「もしもし・・お父さんが外にいる・・」
朝方、何か気配を感じ、目が覚め、そっと外を見たそうだ。
「とりあえず、電話切らないで・・外の様子見れる?」
物音を立てずに、どこか外を見れるところに移動するよう指示し
落ち着くよう声をかけた。
庭をぐるっと見て、すぐに帰って行った。
それから、あいつは、一時間後、母に電話をかけてきて
あの庭の作り方じゃなくてこうしたらどうだ、あの花を植えたら綺麗だ、どこでその苗を買ったんだと根掘り葉掘りと庭や家の中を覗いていたことには触れず、庭について質問攻め。
こちらが”怖い”と思っていることは、思ってもいない・・
「その花が売っていたところに乗せて行け!8時に迎え来い」
というもの。母は、従ってしまう・・
離れて暮らしても洗脳され、一緒に住まないだけまだ、ましだという・・
別居のきっかけは
結婚生活20年で家を飛び出すまで、病院さえまともに行かしてもらえない不自由な暮らしをしていた。
家に居る時も、ガソリンスタンドの給油も、集金に来る仕事の業者とも、近所の人でさえ、目を合わせることも許されなかった。
友達とランチも買い物も電話も旅行も許されなかった。
たまたま声をかけてきた方、誰一人許さなかった。
母を独占し支配し、優しくするわけでもなく、妄想し嫉妬し、生き方全て,自分の物だった。
ばばぁが、お産で実家に帰ると母は、真っ青でふらふらしている。40代前半の年齢なのに、まるで老婆のようだった。
母親に一緒に福岡に帰ろうと言ったが支配と恐怖で動く勇気を持てなかった。
しかし、家を出る決心がつく出来事があった。
朝方、起きてこない母の部屋を見に行くと布団が”血の海”
子宮筋腫と生理が重なり、出血多量で顔色が真っ青・・・・
あいつは、その光景に慣れている様子で部屋に入るなり
{おい、飯作れ」と足を足蹴り・・・さらに「起きろ」とお腹を足で踏みつけた・・・
泣きながら説得した。洗脳されていると・・
「大丈夫か」「病院行こう」なんて声すらかけない・・
そのあと、乳飲み子を抱え母を病院へ連れて行くと即入院するよう言われた。
しかし、母は「NO」・・理由は、帰ってからも何をされるかわからないからと・・医者とできてるんだと責められたり、術後治ったからと益々こき使われたり、
安静にしていても なまけていると言われる・・間違いなくそうなるだろう。
母は、点滴治療でなんとか耐え、荷物を車のトランクに少しずつ積み込んだ。
母の友人とこっそり連絡をとり
先に福岡で待つことにした。
決行の日、母の気の強い友人が手伝ってくれた。
逃げるように・・家を出た・・命がけ・・車で休憩したり仮眠とったりで7時間かかって着いた。
ばばぁの家から近い、大きな病院で手術した。
筋腫で貧血がひどくなっていた。貧血の治療と36キロまで落ちていた体重を40キロに増やしてからの手術だった。
「病院って天国だ。あたたかい食事が出てきて、ゆっくり何度だって眠れる・・」
と言った母の言葉が痛々しい・・
あのままあの家に居たら若くで死んでいただろうと思う。
表は教育者、家庭では・・・まるで別人ジキル博士とハイド氏のよう