2017年の今頃

きちんと記録をしておかなかったのでもはや日時はぼんやりしているのだけれど

2016年の夏に発覚した(当時30代はじめ)娘のS状結腸にできた腫瘍
あまりに大きいのでまずは抗がん剤投与し、縮小できたら切除手術するということになり1クール開始したのだが、熱が出たり色々あって数回スキップ、半年経ってのカンファレンスで手術不可、以後は抗がん剤で延命という結果となってしまった。

とはいえ後半拒絶反応が出て駅を降りて病院へ向かう途中ですでに具合が悪くなり抗がん剤もできなくなりつつあり、もうあとがないところまで追い詰められた。

最後の診断を娘と娘の伴侶が聞きに行く日、私は仕事しながら祈るような気持ちで連絡を待ったが、夕方になっても連絡がなく…その日はため息連発して宇宙人同僚に「まころんさん今日はため息ばっかりついてますね」と言われる始末ゲロートホホ


結局夜遅くに『手術はできないと言われた』旨の連絡LINEがきて泣けた。えーん
(泣きたいのは娘やろ)


お世話になった腫瘍内科の主治医が最後に難しいとは思うけどもしかしたらここならなんとかなるかもしれない とあの有名なガン研A病院に紹介状を書いてくれ、娘は転院した。

ここは最初に病気が発覚した時にセカオピに行ったところ。

かなり難しいがやれるかもしれんということで手術を引き受けてくれることになり、娘は生き続けることができた。

そんなことってある?
セカオピでは今の病院の判断で正しい ということだったのに。
あの時点で転院していたらどうだったのかな と思ったりもした。

手術後、抗がん剤に拒絶反応があった娘は術後抗がん剤もやらず、結果今も元気にフルタイムで働き、ママと妻をこなしている。


どうやら病院によって治療方針には違いがあり、おそらく築地のがんセンターだったら手術はNOと言われただろうと後で娘が話していた(2017年当時のことです)


他臓器に転移がなかったのが幸いだったのかもしれないが深度はあったので難しい手術になると言われていたけれど、早朝手術室に入り夜半遅くにようやくICUに移れた娘は2日後くらいには一般病棟に帰ってきた(記憶が曖昧なのだけれど翌日だったかもしれない)


半年後くらいのストーマ閉鎖手術も終えて、職場復帰してその上転職までして当時保育園に通っていた子供のことも夫婦でやりくりして見合って頑張ってるなと感心している。

私があんまり心配するのがうるさかったらしく途中絶縁状態になってしまったこともあったけれど(私が悪いショボーン)、今は付かず離れず程よい距離感で付き合っている。


娘のことがきっかけでここでたくさんの若いガン患者のブロガーさんを知ったし、自分もブログを始めた。

当時、闘病ブログで治った方、治療がうまくいっている方のを読んで大いに励まされた。私は当人ではないけれど、家族も本当に辛いものだ。

  今もそんな方がいらっしゃることだろう。

娘のように病院からお断りされても別の病院で引き受けてくれるところがあって、元気になったケースもあるということ知ってくださったらと思い書いてみた。


本当はガン自体が消滅するような薬ができるのが願いだけれど、今はまだ途中だ。

けれどがんの治療はすごい進歩を遂げている。

つい先日の作家の百田先生の腎臓の癌の手術は素晴らしい。手術の翌々日?翌日?には退院されてなんと退院翌日には講演会をされていた。

負けない 諦めないで頑張りましょう!!