参りました! 羽生氏記者クラブ会見 | 桃象コラム

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音楽(特にピアノ)、演劇鑑賞、料理、旅行、ヨガ、スポーツ観戦(フィギュアスケート、サッカーなど)を心のオアシスに、翻訳を仕事にしていつの間にか四半世紀。まだまだ修行中。

いやいや、もう、すみません。参りました。23歳の青年の思考とは思えない。やはり世界のトップであり続ける人の発想は違う。

 

何がって、今日の羽生さんの記者会見です。まず、外国人特派員協会、いわゆる外人記者クラブ。次に日本記者クラブ、こちらは日本の記者向け。場所的には徒歩5分ぐらいですかね。私も個人的にちょいちょいと想い出のある場所ですよ。特に外人記者クラブのほうは。

 

今日のこの2つの会見を見て思ったのは、羽生さんはすべてお見通しだということ。ポジティブなことも、ネガティブなことも。自分に対する批判やアンチの存在。昌磨くんの4ループが決まっていれば優勝していたと「たられば」を語る人がいること。テレビが面白おかしくとりあげる「ユヅリスト」はファンのごく一部であること。アイスショーや試合観戦にはお金がかかり、そもそも競争率が高くてチケットすら入手困難なこと。だから若いファンはお金が出せなくてなかなか現地観戦できないこと。どんな質問が飛んできても、嫌いなことは嫌いとはっきりと、しかし丁寧に語る。先日の「できれば嫌われたくない」発言と併せて、脛に傷を持つメディアやアンチは襟を正して欲しい。

 

技術対芸術論争について、芸術は技術があってこそのものであることを言い切ってくれて嬉しかった。あたりまえである。なにごとでもそうである。技術がないところに芸術はない。

 

昌磨くんについて語ったくだりもなかなか面白かった。「面倒みる」発言にイラっと来ている人もいるようだけれど、まったく表層的な受け取り方だ。昌磨くんのように無防備でなんでも思ったままを口にしてしまうのは危険。今はまだ、「かわいい」とか「面白い」と受け取られている。でもこれが、テレビ局やスケオタ以外の世間一般が予想するような成績を取れない試合があると、一斉に手のひらを反し、バッシングが始まることだってありうる。少なくとももう20歳の五輪銀メダリストなのだから、記者会見の席で寝落ちしてしまったり、不要な敵を作りかねない発言をしたりすることは避けたほうが安全です。メダリストには名誉もあるけれど、責任もついて回るものです。

 

思うに、羽生さんはソチからの4年間でいろんなことを経験して、自分の中では結論が出たのではなかろうか。まったくの捏造記事を書かれたり、試合結果を「たられば」で語られたり、落としたり持ち上げたりと、日本のメディアはいい加減だ。もともと得体のしれないネット記事ならともかく、大手報道機関やその系列メディアが、どう見てもネットから情報を拾って適当な記事にした、という例も少なからず目にする。

そういうメディアの捏造記事やアンチ活動に対して、正面から反論してもあまり効果はない。でも金メダリストの記者会見は絶好の機会だと思う。自分や先輩たちが経験してきた嫌な思いを後輩にさせないための苦言だったのではないか。金メダリストが語る言葉の重みを、羽生さんは一度、経験している。荒川さんが記者会見での発言にも助けられた。

 

お正月の特番、「天才アスリート 受け継ぐ言葉」という番組の中で、町田樹さんが長野五輪スキージャンプ金メダリストの船木和喜さん、アスリートタレントの武井壮さんと鼎談していた。その中で私が最も印象に残ったのは、船木さんが「後悔している」と語ったことだ。以下のような発言だった。

「長野オリンピックでメダルを取った時に、金銀銅の選手だけに与えられる生のインタビューがある。それは修正なしに世界中に発信される。重大なすごい時間をもらったのに、自分は何も言えなかったという後悔がある。自分が嬉しくて、楽しいとか、よかったとかしか言えなくてすごく後悔している。現役選手の言葉はすごく重たい。元選手の言葉よりも」

 

羽生さんは、もうしばらく現役でい続けることで訴えたいことがあるのかな。被災地の復興やスケートの振興はあるだろうけれど、それ以外にも、後輩スケーターや広くアスリートの境遇改善に力を貸したいのかもしれない。

 

とりあえず私は今年も仙台に行ってお金落とすよ。


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