悲しみに寄り添えない母 | 私が親という役割を自覚するための道筋

私が親という役割を自覚するための道筋

機能不全家庭で育ち、人生に行き詰まっているのに、親になったらどうにかなると思っていた私が、自力ではどうにもならずに、カウンセリングとかコーチングで学びながら、少しずつ成長する日々を書いています。

最近、母とまた話をするようになりました。

話す内容は子育てのこと、ママ友とのトラブル等です。

 

以前は話をすると怒りが爆発することが多かったのですが、

今は言葉で説明したり反論もできるようになったので

会話が成り立ちます。

 

(「以前」とはカウンセリングを受けた後からです。

それまでは母に反論等は一切できず、

相談しても逆に聞き役になったり、

バカにされたりしていました。

カウンセリングを受けた後から

怒りを表現できるようになり、

冷静に自分のことや母の態度について

説明できるようになり

今では普通に母と会話ができるようになりました。)

 

今、話をしていて気がつくのは

母が今でも私の相談を

「大したことない些細なこと」

として「気にとめるお前が小さい人間だ」

というような表現をすることです。

 

母は心から私を励ますために言っています。

それしか言い方を知らないのです。

でも、いくら本人に悪気がなくても

元気付ける側の対応としてはよくないです。

受け止める相手は悲しみの行き場を無くします。

 

小さい頃から、こういう一方的な母の励ましを

受けてきたんだな、と今更ながらに思いました。

そして、イラッとしたけれど

「その言い方は嫌だ」

「でもなぜ嫌だと思うのだろう?」

といつの間にか素直に考えることが

できるようになっていました。

(昔だったら、なんとなくモヤモヤするだけだったので。)

 

感情は認めると消えます。

子供は感情に名前をつけるのが下手で、処理も下手なので

大人がうまく感情の処理の仕方を教えます。

それが「共感」です。

難しいことじゃないです。

「それは辛かったね」だけでいいんです。

そこを「そんなことでへこたれる弱いお前はダメだ」とか言われると

子供は感情の処理がめちゃくちゃ下手になります。

下手になると悲しみを溜め込んで、

そのうち怒りっぽくなります。

 

母は良い言葉をあまり知りません。

今も共感の意味を分かっていません。

今まで教えてくれる人もいなかったし、

自分もそうやって育てられてきています。

だから、どうしようもなかったんですね。

良かれと思ってやっているから仕方ないです。

 

そして、私が自動的にネガティブな表現で自分を裁いてしまうのは

長年刷り込まれた母からの励ましの言葉だったんだな、と

しっくりきた今日この頃です。

 

ネガティブワードだけど「励まし」だったんです。

私は母から本当に愛されていたんだけど、

その愛情は私が愛情として吸収できない形をしていた。

それだけです。すれ違いですよね。

 

言葉の大切さは意識されないことも多いけど

建前とかじゃなくてちゃんと意味がある。

 

相手が素直に受け止められる表現をしていれば

誤解も減る。

 

「お母さん。。。

それじゃあ、私は消化できなくて当然だよ」

と腑に落とせた出来事でした。

 

言葉って便利だけど厄介ですよね。