1958年の初代デビュー以来、66年にわたって日本人の商売や暮らしを支えてきた
原付バイク、スーパーカブが生産終了になるという。
子供たちの元気な声があふれる下町の路地を、そば屋、すし屋、クリーニング屋、
郵便配達のカブが軽やかなエンジン音を響かせて駆け抜ける。
ホンダの創業者、本田宗一郎が戦後最初に送り出したCUB(坊や)は、
経済成長の坂を上っていく昭和の風景を象徴する乗り物だった。
同世代の者にとっては単なる乗り物ではなく、元気はつらつな「仲間」だった。
アメリカ西海岸でザ・ビーチボーイズが『Little Honda』でこう歌った。
♪今日早起きしたのは君を乗せるためさ、
さあ洗いざらしのTシャツを着て、
君の好きなところへ連れていくよ・・
車でも何でも大型、ガソリンじゃぶじゃぶのアメリカで「リトル・ホンダ」は
若者たちの心をとらえ、アメリカ文化を変えていった。
なにせ、燃費がリッター60キロ!経済的で軽量で頑丈、故障知らず。
シンプルな車体からは真面目で懸命な“人格”が伝わってくる。
東南アジアの当時の発展途上国の町にもあふれたスーパーカブは累計生産1億台、
世界で一番売れたバイクとなった。
焼け野原の町でエンジニア本田宗一郎が油まみれになって見た夢を思う。
『悪路でも乗りやすい、頑丈なものを作らなければならない。
誰でも扱えるようなもので、とくに女の人が乗りたくなるようなバイク。
エンジンが露出していないもの』を。
エンジンも世界に類がないOHV4ストロークエンジン。
デザイン性は今でも光っている。
開発陣がまず作ったプロトタイプは自転車にむき出しのエンジンがついたカブF号、エンジン音から通称「バタバタ」と呼ばれ、庶民に愛された。
ペダルをこいでエンジンをかける文字通りの「原付自転車」だった。
私の父親が仕事で使っていたのを思い出す。
エンジンの回転音が我が家の一日の始まりだった。
試行錯誤の繰り返しで愛らしい結晶となったスーパーカブは、
“小さくて世界に類がない高性能”で「名車」となった。
ちょうど鉄腕アトムと時代が重なる。
アトムに魂を入れたお茶の水博士ならぬ
カブに魂を入れた本田宗一郎はこう述懐している。
「人生は見たり・聞いたり・試したりの3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり・聞いたりばかりで一番重要な試したりをほとんどしない」
「石ころのような個性もあれば、ダイヤモンドのような個性もある」
当時、トランジスタラジオで飛躍したSONY同様、
世界へ羽ばたいた町の技術屋たちの心意気を想像すると、今も胸が熱くなる。
そして私も、自動車はすでに廃車にしたものの、今なおバイクだけは手放せずにいる。日本のモノづくりの上でも、カブの魂は不滅だと信じたい。
角曲がりカブが来そうな夏の路地