歴史的円安で観光地にはインバウンドが列をなし、

嬉々として飲み食いしてる光景が連日ニュースに流れる。

渋谷や浅草の街はどこかの国のようだ。

世界中からやってきて、SNSの話題スポットで「映え写真」を撮り、

グルメを堪能し、割安な買い物を抱えて帰っていく。

日本人がテーマパークの従業員のようにすら感じる。

「ラーメン1杯3千円、ビジネスホテル1泊3万円」

ホテルや飲食店はどこも海外並みに高騰、

観光地は地元の日本人に急によそよそしくなった気がする。

旅行客の多くは、旅行=娯楽=消費。

スマホを駆使して合理的に楽しむことに徹している。

どこで映え写真をとり、何を食べ、何を買って帰るか、

最大効率を心掛けているのだろう。店なども日本人よりよく知っているみたいだ。

スマホとSNSがコスパとタイパを最適化し、無駄がない。

ともあれ、「危うきに近寄らず」。

円安狂騒曲が鎮まるまで当分は観光地へ近寄る気になれない。

 

ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん

汽車が山道をゆくとき みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ うら若草のもえいづる心まかせに (萩原朔太郎)

 

一人旅に憧れた時期がある。

旅行ではなく「旅」。とにかく日常を脱出することに飢えていた。

見知らぬ土地へ、在来線やバスで移動し、

宿はユースホステルなどを利用する貧乏旅。

道連れは地図と文庫本、史跡巡りにもグルメにも無縁。

消費して楽しむなんて頭にない。

目的地は、感動した本や映画の舞台だったり、どこでも構わない。

移動するプロセスそのものが旅。

冷凍みかんや干し貝柱を旅のお友に車窓の人となったもの。

「意味わかんな~い」でしょうね。

傍からは無計画、非効率ともみえる旅に見出したのが「旅情」だった。

 

 日本経済が豊かになり、旅は観光旅行へと進化?

ジャルパック全盛からツアーの時代へ。新幹線と高速道路で「弾丸ツアー」が

当たり前になるにつけ「旅情」などは死語に。

インバウンドのオーバーツーリズム(観光公害)が言われるが、

かつて日本人も海外でやってきたこと。

ワイキキの浜が日本人だらけになった時代もあった。因果は巡るのだね。

 

旅行も結構だが、「旅」はいろんな意味で刺激的だ。

時代錯誤と言われようと、「人生で大事なものは一人旅から学んだ」と

声を大にして言いたい。

「早く便利に」は現代人の一種の中毒でもある。

さび付いてしまった野生のコンパスを再発見するためにも、

一人旅デビューをおススメしたい。緑輝く季節、さしあたり郊外の森や海への

「小さな旅」「ぶらり旅」でいい。

とにかくSNS抜き、タイパ抜き、脱力して日常の引力圏を脱してみてほしい。

自由と孤独は背中合わせ。一人旅に出て知らない場所で大空を仰げば、

きっと「旅情」が湧き上がってくる。