指揮者の小澤征爾さんが亡くなり、在りし日の姿を追悼番組で偲んだ。

マリオネットが踊るがごとく指揮する姿に見入りながら、指揮者の才能とはつまりは「場を主催する」力であり、チームスポーツでも会社でも国でも同じことなのだと改めて知る。

活躍する集団は誰かしら名指揮者がいて場の空気を高めているものだ。

 

話は飛ぶが、

月に一度ほど寄る家族経営の焼きトン屋がある。

40代の大将と母親、奥さん、3人の店である。

ただし、

そこに寄りたいと思うのは“シャキっと気を張って一人呑みしたい”時に限る。

だらだら気分だと場の空気に負けて悪酔いしかねない。

寄ろうと決めたら(さあ臨戦態勢だ)と、気を引き締めて暖簾をくぐる。

駅裏にあるその店は、カウンター20人ほどの「ウナギの寝床」。

中央の焼き台で客に向き合い仁王立ちする大将、横でサイドメニューをさばく母親、飲み物その他で俊敏に動く小柄な奥さん・・3人は真冬でも半袖だ。

5時の開店と同時にカウンターが埋まり戦闘開始、

店内がピリピリした緊張感に包まれる。

 

小生の“妄想”では、“敵に遭遇した潜水艦の中”をよく連想する。

「Uボート」「レッドオクトーバー」のような潜水艦映画で展開される

息詰まる戦闘場面。

ソナー音に乗員の神経が集まり、「敵艦発見」「魚雷装填」「発射」・・

狭い閉鎖空間に緊張がみなぎる。

そこでは指揮者ならぬ艦長の号令が場を主催し、乗員は艦長の声に全神経を集める。「かしらあぶら2本6番」「はい」「じゃこ天3,8番」「やげん2、16」「はい」「10番注文聞いて」「はい」。

煙に目を細めながら串を絶え間なく返してゆく大将の表情は、愛想笑いもない。

しかも、内臓系の部位は注文が入ってからカットし、1本1本串打ちするから、

手が止まる暇もない。

窓の外10メートル先を電車が通過し、窓ガラスが小刻みに震える。

厨房の3人は“戦闘状態”にあり、客も一種の切迫感に巻き込まれてゆく。

ゆっくり酒と会話を楽しみながら・・と普通は思うところだが、

ここでは大声で談笑する客はいない(客の半数は一人呑み)。

客たちの黙々とした飲食さえもが戦闘シーンの一部みたいな気分になるのだ。

客は、ちゃっちゃと飲んで食べて、1時間がいいところ。

味はいうまでもなく一級品だが、予約もテレビ取材も不可。

カードも電子マネーも不可。現金のみ。

当然、「不愛想な店」「食べた気がしない」という人も少なくないだろう。

たぶん、常連客の大半は(この緊張感に巻き込まれるために来る)と想像する。

食べ終わって店の外に出ると、誰もが一仕事終えたような気分でふ~っと脱力し、

おもむろに我が家へと足を向ける。

・・なんだか、昭和アナログへの逃避かと切り返されそうだ。

確かに、万事デジタル化された現代から昭和や江戸時代に

タイムスリップしたいのかもしれない(笑)。