平城宮第1次大極殿院内庭跡で、長方形の穴と、小さい石を敷いた「礫(れき)敷き」跡が3層が発見された。
 22×17・0.2m、平城京に都が戻った天平十七年(745)以降に掘ったとみられるという。[読売新聞]