とあるセミナーで出会った人。
その人は本当に輝いていた。
ハツラツとしていた。
どんなことがあっても、困難から逃げずに立ち向かっていった。
セミナーの先生が、初めてあった時は真っ黒な洋服を着ていて、俯いていたから「カラスちゃん」と呼ばれていたそうだ。
私と出会った時は、カラスではなくカトレアの花が咲きそうな、どんどん美しくなっていく段階だった。
コロナがあり、少し世の中が動き始めた頃にまた会えた。
私の話をとても親身になって聞いてくれて、本当に救われたことを思い出す。
カトレアは牡丹や芍薬になり、可憐に咲き誇っていた。
あのオーラを思い出す。
内面から「これでもか!」というくらい、外に向かって発散されていた。
この魅力に落ちない男性はいないんじゃないかとも思った。
もう一人の方と、私の進むべき道を話し合ったあの時。あれがあったから、今こうしてここにいられると思っている。
それから去年の10月だったか、Zoomでもお話した。
私にとって、彼女はある意味道しるべだった。
同じ時期にセミナーに集い、同じ人を尊敬し、彼女は尊敬する人に近づきたいと、寝る間も惜しんで努力しているんだと教えてくれた。
誤解を恐れず言うのなら、尊敬する人=Zさんに対して、こちらがちょっと心配になるくらいに傾倒していた。
本人には言わなかったけど、Zさんはとても魅力的でいろんな人を引き付けていたが、いろんな人が離れていった。
潮の満ち引きがあるかのように、周りにいる人が変わっていった。
自分の居場所が見つかった人から離れていったような気がする。
私はZさんを、最後の劇薬みたいな扱い方をしているので、そこまで傾倒していないと自分では思っている。
それでも彼女は、Zさんから離れなかった。
ある意味スゴイ根性の持ち主だなあと感心していた。
Zさんのことをどう思っているのか、聞いたことがあった。
私もZさんを尊敬しているけど、一線引いているというか、あまり深入りはしないようにしていた。つかず離れずという感じ。
彼女は「今までいろんな人と出会ってきたけど、Zさんは本物だって思ったの。この人スゴイって思ったのは初めてなの」と言っていた。
彼女にとっては、運命の人だったんだろう。
実際そうだろう、カラスが芍薬になったのだから。
「この頃直接お会いできていないの」
ちょっと淋しそうだった。
私はZさんは忙しい人なので、そんなときもあるんじゃないかなあと思っていた。
それが彼女と話しをした最後だった。
今年の4月、彼女にメール送ったら、いつもの様子と違った。
もうセミナーからは離れたみたいで、金輪際送らないでくださいみたいな文章だった。
私はびっくりして暫く呆然としていたが、彼女はZさんから離れたのだということを少しずつ理解していった。
あんなに傾倒していたけど、それが故に崩れる時は脆い。
そんな当たり前なことを、久しぶりに目の当たりにしていた。
彼女が自分で別れを決めたことなのか、Zさんから言われたことなのか。
それは私にはわからない。
大きな別れがあると、それを埋めるかのように新たな出会いがあるという。
彼女がこれからどんな人と出会い、変わっていくのか、私はそれを知ることはない。
でも、私の人生の、ほんのひと時を一緒に過ごすことが出来て、いい人と出会えてよかったなあと思う。
彼女の、これからの人生に幸あれと願わずにはいられない。
いままでありがとうございました。
どうぞお元気でお過ごしください。