現在までに、邪馬台国論争から多くの市民を中心とした邪馬台国関連の会が生まれている。

 その代表的なものが故古田氏を信奉していた人々の会で現在でも「古田史学の会」という名で亜流の会も含めて多く活動もしているし、また、安本美典氏主宰の『邪馬台国の会』も現在では続いているし、七年前頃には、『邪馬台国連絡評議会』などと言う横断的な会が生まれて活動しているし、それから、鷲崎弘明氏が設立し現在では丸地三郎氏が主宰する『日本古代史ネットワーク』などが近年では生まれて活動もしている。

 

  しかし、これらの会というのはお題目は「真実の日本古代史を解明する」などとなっているが、現在ではほとんど若者は参加せず、そして、現在では老人たちが多く、ある意味では老人会、老人のお茶のみ会、趣味の会になっており、日本古代史学にとってなんの改革も出来ずに衰退化の一途をたどっているようだ。

 例えば、この間には邪馬台国所在論議であるが、古代史学界の文献学者は黙り、近畿地方の考古学分野と、その関連が多い歴博(国立歴史民俗博物館)の日本考古学分野によって、「邪馬台国は近畿にあり、桜井市の纏向地域である」などと言うのが捏造されて、ほぼ現在では、残念であるが、世間(特にNHKや新聞社関係)では定説化してきて現在に至る。

 

 では、これらの会が、何故、衰退していくかというと、

①、会は素人集団という事で人を集めてもおり大学や国や公立の考古学部門などのように権威が無く、そして、これらの機関に対して会は真っ向から戦うというものでは無くかなり依存もしているからだ。

 その代表的なものが『邪馬台国連絡評議会』などと言う横断的な会で、この会の顧問などはほとんど大学や国や公立の古代史学や考古学部門の人々であることだ。それから、安本美典氏主宰の『邪馬台国の会』は近年は考古学分野で邪馬台国を論じている傾向が強いのであるが、常に過去の二番煎じで実は新しいものはなく低迷もしている。丸地三郎氏が主宰する『日本古代史ネットワーク』も同様で、過去の二番煎じをやっているようなものだし大学や国や公立の古代史学や考古学部門の人々の話などを土台にしているだけである。但し、古田史学の会関係は少しは学会と戦うという面はあるが、会はやや古田教という宗教団体のようで独善的で孤立して伸びる要素が無く、また、古田氏を信奉する人も年を取り多くは亡くなりなどで衰退してきている。今後も、この会は高齢化で衰退をしていくであろう。

②、それから、これらの会で最も問題であるのは「記紀」を少しは否定するが大枠は否定せずに容認しており、実は大学や国や公立の考古学部門の人々とは本格的に対立も出来ないし、そのため、日本古代史学を改革も出来ないという事だ。これでは、先にも述べたように、これら会は「真実の日本古代史を探求」などと言っているが、お茶飲み会、老人会、趣味の会で衰退するのは当然なのだ。特に、『邪馬台国連絡評議会』や『日本古代史ネットワーク』などは、この傾向が強い。又、「古田史学の会」や安本美典氏主宰の『邪馬台国の会』も古田氏と安本氏が全く「記紀」を否定しておらず、そのため、日本古代史学を改革も出来ないという事だ。

 現在までの大学や国や公立の考古学部門の人々というのは『記紀』を信じて活動してきた人たちが主流で、記紀を基に古代史を悪く言えば捏造をしてきていたが権力も権威も付随しており、これら会は記紀を容認する限りは大学や国や公立の考古学部門の人々には何もできずお茶飲み会、老人会、趣味の会で衰退するのは当然なのだ。

 ここで、忘れてならないのは、「記紀」には何かしらの真実も記録されているだろうが、古代中国史料と比較検討すれば、劣悪で史書とは言えず物語であるし、実は、悪い言葉であるが、「記紀」は残念であるが、偽書の部類だ。ですから、すなわち、実は現在までの大学や国や公立の考古学部門の人々の作り上げた日本古代史というのは象牙の塔の創作物で歴史ではないという事だ。

 ところが、これらの会は、先に述べたように、このような「記紀」を容認しており、実は現在までの大学や国や公立の考古学部門の人々の作り上げた象牙の塔の日本古代史を否定できず改革などできるわけがないし衰退するだけなのだ。

 

 今後、記紀を真っ向から否定する会が出てくればよいがと常に思うが、若者は日本古代史などに興味も無くなっており、それも全く望みは無い。