先日図書館で借りてきた
『「出雲」からたどる古代日本の謎』を
今回のツアーの移動時間に読んだのですが、
風土記としての引用がすべて「常陸国風土記」でした
常陸国風土記は今年編纂1300年の記念の年ですが、
以前に書かれたこの本とは無関係
風土記は、時の政府が畿内七道の諸国の国司に
郡内のさまざまなことを報告するように求め編纂されたものですから、
たくさんあると思っていました
ところが、現存しているものは5つだけなのだそうです
結城市は今は茨城県ですが、
常陸国ではなく下総国なので「常陸国風土記」はあまり興味がなかったのですが、
読んでみようかなぁ~とぼんやり思いはじめています
結城紬は常陸絁(あしぎぬ)、と呼ばれ、
その後は常陸紬(1322年・庭訓往来という書物に記載)と呼ばれ、
その後1602年に結城秀康公が銘々・毛吹草という書物に
「結城紬」という名称を残しています
同じ地機を使った機織りをしていたのは常陸太田ですから
やはり常陸国とは深いつながりがあるのでしょう
機会を見つけて読んでみたいと思います
『「出雲」からたどる古代日本の謎』を
今回のツアーの移動時間に読んだのですが、
風土記としての引用がすべて「常陸国風土記」でした
常陸国風土記は今年編纂1300年の記念の年ですが、
以前に書かれたこの本とは無関係
風土記は、時の政府が畿内七道の諸国の国司に
郡内のさまざまなことを報告するように求め編纂されたものですから、
たくさんあると思っていました
ところが、現存しているものは5つだけなのだそうです
結城市は今は茨城県ですが、
常陸国ではなく下総国なので「常陸国風土記」はあまり興味がなかったのですが、
読んでみようかなぁ~とぼんやり思いはじめています
結城紬は常陸絁(あしぎぬ)、と呼ばれ、
その後は常陸紬(1322年・庭訓往来という書物に記載)と呼ばれ、
その後1602年に結城秀康公が銘々・毛吹草という書物に
「結城紬」という名称を残しています
同じ地機を使った機織りをしていたのは常陸太田ですから
やはり常陸国とは深いつながりがあるのでしょう
機会を見つけて読んでみたいと思います