とあるブログを見ていたらこんな一文があって、つい目がとまった
家族3人で1個1000円程度のからあげ弁当とラーメンを分け合って食べ、家族全員が腹いっぱいになって食後に犬を連れて海岸で散歩してるのが幸せだと思える価値観が凄く大事だと思う
幸せは他人の幸せや不幸を見て探すのではなく、自分で考えて作り、そして感じる物だ
俺は他からみたら幸せなんだろうけど自分は満たされていないのでまだ人間だと思う
完璧と絶対は無い
弁当を家族で分け合って食べて、食後に犬を連れて散歩する。それが幸せ、で終わらずにそのあとの「ほかから見たら幸せだろうけどまだ満たされていない」という言葉が妙にひっかかり胸にのこる
普通のなにげない日常が幸せだよねで終わるブログは山ほどあるし、自分もそんなようなことを以前書いたような気もする
たしかに普通の日常は大切だとは思う
暮らしのもととなるものだから
でも本当の、本当の胸の内をのぞくと、わたしはやはり「普通のなにげない日常」だけでは満たされないのだと思う
わたしのなかには放浪の成分が色濃くあり、心の何処かではいつも知らないどこかへふらりと出かけ、風のむくまま気の向くままに根無し草のように生きていたいという気持ちがある
実際に家を出た18歳から20歳までの2年間は根無し草のように生きていた
でも結婚して、子供が生まれて、これじゃあだめだ、しっかりとした人間になるんだ、と社会に溶け込むよう努力した
その結果いまはそれなりに社会に溶け込んでいると思うけれど、そんななかでもやっぱり根っこにある欲望は消せないものなんだろう
病のようなものなので、これはもうしょうがない
会社辞めて放浪の旅にでるというわけにもいかないので、普段はしっかり働き、たまの休みに欲望をぷち解放してあげて、そうやって折り合いつけてバランス取って生きていくしかないんだろうな