2月15日(木)15時頃、38度の発熱があり、インフルエンザの検査をしました。

 

  息子はこの検査が嫌いで、垂れ目のおめめが、更に垂れ目になって泣きながら、検査後、私に手を伸ばして助けを求めました。


  主治医が、「ごめん、ごめん」と誤りながら、

退出しました。


 結果は陰性でした。

  

  16時から、面談室でICがありました。2人の主治医、プライマリーナース、私、主人が出席しました。


 息子は病室で保育士さんが遊んでくれていました。


 画像で両肺、肝臓の新規病変(転移)を見ました。

(2月15日のNSE61、LD265、 CRP0.30、尿VMA94.5、HVA50.3)


 約1ヶ月前の1月10日のMIBGシンチでは、新規病変はなく原発の頸部と、しつこい左大腿骨のみでした。

(1月10日のNSE19.8、LD254、CRP0.07)

 

  陽子線を行った頸部の原発巣は縮小しているが、左大腿骨は増大しているとも言われました。左大腿骨のガン細胞は陽子線19.8グレイ当てるだけでは、やはり倒せなかったのだと絶望しました。

 

 肺への転移は、小さく散らばっているため、現時点で放射線治療、手術はできない、病変が大きくなれば、放射線を部分的に可能だか、肺の耐用線量が低いため、根治は難しい、陽子線で炎症を起こしている今の喉の状態で鎮静はかけられない、そんな話しだったと思います。


 肺で逝くのは苦しいのではないかと質問したところ、その際は鎮静、モルヒネを使用するとのことでした。また今後発生するであろう痛みについても、説明がありました。


 そして息子に残された時間が短いことも告げられました。そのため、治療は継続しつつも、おうちに帰って家族との時間も過ごせるよう、在宅医療の準備も進めていきたいと説明がありました。

 

九大の治験にも賛成ではなく、九州で亡くなる可能性もあると言われ、明言されませんでしたが、余命は月単位であることを察知しました。


 私たちは、抗がん剤で病勢をおさえて、4月の九大の治験に繋げたい、諦めたくないと伝えました。


 今の状態では、強い抗がん剤を使えないため、候補としてIT療法を挙げられましたが、10回目の抗がん剤治療でIT療法をした際に腹痛の副作用が見られ、IT後、NSEも22.8に上がって、焦ってICEに変更したことがありました。

 

 ICEのカルボプラチンは、今の息子の体には強すぎて使用できないため、2月17日(土)から弱いIE(イホマイド・エトポシド)療法を3日間、短いスパンで投与して、縮小を試みて、九大の治験に望みを繋ぐことになりました。


★動揺しながら、主治医の説明を聞いているため、理解に誤りもあるかもしれませんので、記載内容は参考程度でお願いします。


  ICが終わり、デイルームに移動し、何がいけなかったのか、主人に話していたら、泣けてきました。


 部屋に戻ると息子が保育士さんとブロックで高い、塔を作ってくれていました。

何枚も写真を撮りました。


 夜20時台も39.1度の発熱があり、夜は点滴のアセリオを使用しました。



備考

[朝食] 主食0割、 副食1割

・昼11時頃プリン1/3弱、ポカリスエット200ml

[昼食]主食0割、 副食0割

[夕食]主食0割、副食0割

フルーツオーレ、ポカリスエットを飲む。

タミフル服用、排便なし