アラフィフが本来の自分と出会うまで(病気休職編) | 今ここ、本来の自分に還る ここはれ~心晴~

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「今ここ」に集中すると、いつも幸せがあることに気づく。
人生100年時代、折り返してからが楽しい。
アラフィフの自分を楽しむちょっぴりスピリチュアル。

自分が本当にしたいことがわからず、他人の目を意識しすぎて自分の人生が生きられず、うっかり人生が終わりそうだったアラフィフが、自分のソウルと繋がるようになり、幸せに本来の自分を生きられるようになるまでのお話です。

 

育休復帰後編からの続きです。

 

ワンオペ育児でワーキングマザーを続けながら、

リーマンショック後のリストラのあらしが吹き荒れる欧米企業で働く夫の仕事上の相談も引き受けていました。

 

2歳娘のアトピーによる掻きむしりで夜中に何度も起こされ、

心の底に夫の雇用と娘の状態悪化の不安を抱えながらも「なんとかなる!」とポジティブにとらえ続け、睡眠不足も気にせずに気持ちだけは元気に出社していました。

でも、自分の仕事では今までしたことの無いようなミスを連発してしまいました。

 

上司との半期の成果評価の面談で自分にダメ出しをしたその日から、

身体が高熱を出し眠れなくなり、

平熱に戻ると出社をするのを繰り返していたところ、

3回目の発熱後に通勤電車に乗れなくなりました。

 

気持ちは進もうとするのに身体が動かない。

保育園に娘を預けて会社に行こうと駅に向かうと眩暈がしてしまいます。

 

欠勤の連絡を会社にしたその場所で、

しゃがみこんで動けなくなってしまいましたショボーン

 

 

そうして、適応障害型のうつ症状と心療内科で診断されました。

 

帰宅してしばらくは何も考えられずにボーっとしていましたが、

日が差し込んでいるはずなのに暗く見える部屋がイヤになった私は窓ふきを始めました。

最初は普通に出来ていたのですが、

目立つ汚れを落とそうと集中した作業にとりかかった瞬間に身体から力が抜け、なよなよと座り込んでしまいました。

 

何かに集中しようとすると、身体から力が抜け眩暈のような症状が出て倒れこみます。

 

 

何も考えないでも出来る日常生活は送れます。

料理や洗濯などの家事もでき、子供の世話もできます。

娘と一緒に遊ぶことも億劫さはあるけれどもできなくはない。

 

もちろん、出来ない家事もあります。

例えば、ジャガイモの皮むきはピーラーでするので出来るのですが、

里芋の固い皮を剥こうと包丁作業に集中することは出来ません。

掃除はただ掃除機をかけるだけでしたら問題ないのですが、綺麗にしよう!と思って汚れに集中すると出来なくなりました。

 

 

それでも、

せっかく家にいる時間が作れるようになったのだから、

何か特別な家事をしようとする私。

 

病気休職という特別な状況に、意識が興奮しているような状態が続きました

表面上の意識、顕在意識の上ではやる気満々な私がいるのです。

 

でも、内なる意識、潜在意識はもう無理だからやめておけ!とストップをかけていたのでしょう。

頑張ると強制終了をかけてきます。

 

休職前の高熱も、内なる意識に気づこうとしない私に、

身体から「もう止まれ!」というメッセージを出す強硬手段だったのだと思います。


私の顕在意識は、身体は元気だから何でも出来ると思っています。

夫から「(同僚と昼休みにリストラに関する会話をするのが苦痛なので)家にいるのなら、お弁当を作ってくれないかなぁ」と申し出があった時、

することができた!と喜んで引き受けました。

 

心と体を休めるために病気休職をしているのに、なぜか家事を増やし続ける状態でした。

夫のために、

娘のためにと一生懸命な私。

自分の心をないがしろにし、全く見ようとしていないことにこの時点では全く気づいていませんでした。
 

顕在意識の思い付きでせっせと何か家事をしては、

潜在意識に強制終了をかけられて、

へなへなと座り込むの繰り返しでした。

 

 

「うつは心の風邪だから誰でもなるもの」と知っていた私。

その知識が自分の状態を「風邪だから、大丈夫」と軽く見ることに繋がっていました。

 

そうして、本当の自分を見ずに他者や自分の外の事ばかりに目が向いている状態が続きました。

 

「もう頑張りたくない!頑張れない」と言っている潜在意識の存在に全く気付いていませんでした。

 

最初は1か月と言われていた休職期間が3か月・・・とどんどん伸びていきました。

 

 

6か月たったある日、

会社に行ったはずの夫が午前10時頃に帰宅してきました。

 

「ごめん。クビになった」

 

夫はノックアウト型と言われる退職勧奨を受け、その日から出社停止となったのでした。

 

<つづく>