小学校3年からず~っとつけてきた日記は、
第一子を出産前に、一度全部捨てた
だって、出産てやっぱり一大事
もし生きて帰れなかったら、遺品の整理をしてる夫がこれを目にするのかと思うとね
恋多き亡き妻の過去のアレもコレも知りたかないだろ
というのは嘘です、見栄張りました
でもやっぱり多少はね、なんか書いてあるわけだし
一度ぜ~んぶ灰にした後も、またまたせっせと書き始めたので、
唯一燃やさなかった妊娠日記の他に、
出産すれば出産顛末記、
二人の娘を違う病院で産めば産院比較覚書 ←母子別室だったからヒマだった
そしてもちろん事細かな育児日記(育児日記はそのまま普通の日記になだれこむ)に、
旅行に行けば旅行記などなど
これら半分は、家族の為に書いた
ありがとう、とか、幸せだったわ、とか言う間もなくある日突然死んじゃった時に
遺された家族が、せめてこれ見て癒されてくれればと思ってのこと
もちろん、無理やり見せる気も無いし、
そのまま誰の目にも触れず灰になってもOK、くらいの気持ちですが
こんな事思ったのは、
夫の同級生の奥様が妊娠中に突然倒れてそのまま亡くなってしまったからで
私と同い年で、24~5だったかな
親しくはなかったけど、顔見知りだったので、ショックだった
でも、その彼女の倍近くも生き延びた頃
何もわざわざ文字に残さなくても、
家族に私の気持ちは充分伝わってるだろうから、も~いっか
そもそも旅行記は例外として、
書いたものはいっさい読み返さないってことに気がつき、
再び、旅行記以外は棄ててしまった
妊娠、出産、育児日記を、何故棄てたかというと、
そこには、喜び、感謝、だけでなく、
乳幼児の育児~思春期の子育てに奮闘する苦しい気持ちも吐露しており、
ほとんどが愛に溢れ、マイナスの感情の記述は全体の極一部であっても、
負の感情が文字になったものを遺された者の目にさらす必要はない、と思ったわけで
それでも万が一の不意の別れに悔いを残さないために、
家族へ向けて、
嬉しかったこと、幸せだったこと、感謝の気持ちだけを綴った文をしたためて、
比較的みつけやすいとこに(笑)おいてある
これで、ひと安心なバロック真珠63歳