この前、大都会、東京旅行いってきました
厳密には家族用事があって
行く必要があった、という形なんだけどね。

旅行は好き
物理的に離れることで
現実逃避できる
忘れられる辛いこと。重いもの。
普段の自分。日常。
取り戻せる、自分。

若い時に、たくさん見たいし
聞きたいし、経験したい
それが絶対に私を作るから。

経験は、次の経験のときに
またつながる
繋がったと気づく


例えば私は、美術鑑賞がすき
すきになったきっかけは
フランス短期留学(まあほぼ観光)
フランスといえばルーブル、ってことで
行ってみたら
なんだろう、絵を観てるとおちつく自分に気付いた
時間があっという間で。
大体ぐるぐるしてる私の頭が整理された気がした


そこが私の好きの始まり。

絵のことなんてわかんない
誰が、とか
歴史的背景とか
何にも知らない


それでも、作品との出会いは
私の中に蓄積されていっていて
ふとした瞬間にでてくる

映画をみたとき、
この構図、この言葉、この表現、この名前
出会ったことあるね
また出会ったね、って。
作品を思い出したり
またはその作品がある美術館を思い出したり、
またはその作品に出会った時
私が感じていた感情を思い出したり。

美術館にいったとき
あ、この人の作品、前にも会ったことあるね
雰囲気あるね、これがあなたのスタイルなの?
っておもったり
え!これもあなたの作品なの、
随分と変化があったのね
とか。勝手につながっていく。

それと同時に、私の観た景色と
繋がることもある。

水中の気泡の穏やかさ、そして
水の中って違う世界だなと思う感覚を描いた絵画に
あったとき、

たしか割とサイズが大きい作品だったと思うんだけど
一気に引き込まれる感覚で、
(作品の前から動けない感じ)


同時に思い出したんよ、私の思い出。

小学生の頃の夏休み、
学校のプールに通い詰めてたときがあって
友達とか妹とかと遊んでたんだけどさ

遊びの一つで
手の中とか水着の中に空気を溜めて
もぐって
ブクブクブクブクと出てくる泡を眺めるっていう。
綺麗で綺麗で仕方なかった
ずっと眺めていられるくらい。
できるだけ深いところまで空気がもれないように頑張って
手をゆっくり開いて上がっていく泡をみたり

バシャバシャ!って水面を叩いて
泡に囲まれてみたり。

なんかそんな思い出が蘇ってきたんよ、
その作品のおかげで。

そんな瞬間があるからたまらないよね。
忘れていたけど、たしかに過ごした私の楽しい時間。


あとは景色。
ヴェネチアの景色を描いた作品に出会う機会が多くて
その度に私の旅を思い出す。

あの日寒かったな〜!笑とか。
私がヴェネチアを訪れたときは
本当にヴェネチアの知識も何もなしで
なんかこの都市名聞いたことあるよね?
みたいな感じで訪れたの
(今思うと本当にもったいない)

ま、知識ないからこそ
おバカで?
ある意味ピュアに?
ヴェネチアの素晴らしさを体感できた

この景色は、
あの日私が観た景色
それをこの人の時代の姿で、
この人の感性で、
捉えたヴェネチアを知れるのは興味深い

自分の思い出との違いを感じられる

もっともっと世界のことを知りたい
インターネットがあって
今情報はどこでも、いつでも手に入れられる

だけど生で目にするものって違う
絵画の持ってる雰囲気も、
画像じゃわかんない。

人にも言えることなんじゃないかなって
感じちゃうの
画面越しじゃ、
iPhone越しじゃ、
その人のことはわからない。
芸能人然り。

画面越しに見る彼らを
知った気になってしまうけど
多分ほとんど知らない。
イメージの世界。

アプリもそう。
今やスタンダードな出会いの手段になってると思うけど
アプリ上での雰囲気って
その人が本当に持つ雰囲気と同じとは限らない
左にフリックしたその人が、
本当は自分の追い求めていた人だったりも
するんだろうね、きっと。


ふう。あとは、こうやって旅行することが
自由にできる今に感謝です
やりたいと思ったことができる環境にいるって
とても自由だ、幸せだ。。。

お疲れ様でしたんぬ。