その家に、人はもういない。
30年以上前に誰かが出ていってから、
戻ってくることはなかったらしい。
庭は草で埋まり、
ツタが壁を覆い、
ポストは錆びて赤茶色になっていた。
ある日、何気なくそのポストを開けた。
普段は何も入っていない。
チラシすら来ない場所だ。
でも、その日は違った。
一通の手紙が入っていた。
新しい。
周りの風景とは明らかに合っていない、
白くて、まだきれいな封筒。
宛先は、この家の住所。
名前は――
知らない人のものだった。
差出人の欄を見る。
そこに書かれていた名前は、
この家に昔住んでいた人と同じだった。
「……え?」
30年前に出ていったはずの人。
それなのに、
“今”投函されたみたいに新しい手紙。
少し迷って、封を開けた。
中には、短い一文だけ。
「まだあの家に帰れる?」
それだけだった。
日付を見る。
――今日の日付だった。
ポストの中は、静かだった。
風も、音も、何もない。
その家は、相変わらず誰もいない。
窓は閉じられたまま、
カーテンも動かない。
ただ、その手紙だけが
“今も誰かがこの家を覚えている”ことを
伝えていた。
返事は、出せない。
宛先は書いてあった。
でも、その人がどこにいるのかは
誰も知らない。
それでも、少しだけ思った。
もしこの家が、
まだ“帰れる場所”だったなら。
誰かは、戻ってきたんだろうか。
ポストを閉める。
中には、もう何も入っていない。
ただ、あの一文だけが
頭の中に残り続けていた。
「まだあの家に帰れる?」