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不思議なお話でしたが、とても面白かったです。

全く違う2人の人生が、徐々に繋がっていきました。



どうして惹かれたのか今となっては謎だ。
でも、行き場のなかった、というより自分自身に何者をも見出せていなかった当時の俺にとって、通天閣のように、ただそこにあるだけで強烈な印象を残す何かが、とても眩しく思えたのかもしれない。


小さな頃、自転車を漕ぎ出すときはいつだってワクワクした。

ぐん、と大きくひと漕ぎしたら、それだけで何か楽しい事が始まるような気がした。
冬だって。夏だって。

どうしてあんなに元気だったのだろう。

「寂しさ」や「切なさ」から、圧倒的に遠い場所で、小さな私はいつまでも自転車を漕いでいた。

夕方になり、お母さんが迎えに来たときも、「帰りたくない」なんて、ダダをこねたりはしなかった。
それどころか、帰りの道すがら、私はいつまでもうきうきと嬉しかった。

あの頃、夕暮れのオレンジは、終わりの色ではなかった。
それはその時間にしかない奇跡の色で、そして明日の楽しさを予感させてくれる、優しい優しい色だった。


今、窓から見る夕暮れは、だらりとだらしない色をして、もう少しで終わる一日を、一刻も早く忘れたがっている。

そして早く黒にバトンを渡したいと、そう思っている。
その黒は期待に違わず、すぐにやってきてぐんぐん速度を増し、地上に降りてくる。

そしてあっという間に、昼間の何もかもを隠してしまう。
その中には「楽しいなぁ」や「幸せかい?」や「めちゃめちゃ好き」や「なんか切ない」なんかがごたごたに混ざっているから、私はその思い出を微かな匂いの中でしか思い出すことが出来ない。

うんと鼻をきかせても、今、私の回りには、それらは少し、ほんの少ししか無い。



今の私のように、何かに引きずられたようなだらりとした気持ちで自転車を漕ぐことは、無かった。
周りは明るかった。

太陽はまだそこらじゅうを暖めてくれたし、道行く人は昼間の顔をしていた。
後ろ暗さの無い、堂々とした影を地面に残して、私は力強くペダルを漕いだ。

雨が降っても、寒い冬でも、いつでも自転車に乗っていた。



この前、別のコンビニに行って買った蕎麦に「麺ほぐし用汁」なるものがついていて驚いた。
ここまできたか、と思った。

メーカーよ、どうして消費者にそこまで気を使う。
俺は、箸を突き刺さねば食べることができないほどの硬い蕎麦でいいのだ。
誰が店のコシをコンビニ蕎麦に求めるのだ。

ファーストフード店もそうだ。
提携農家の野菜を使っている?
国産ハーブ地鶏?

誰がファーストフードに明日の健康を、心の安心を求めるのだ。

あんなものは、ぎとぎとで不健康で、うさんくさいものであればあるほどいい。
消費者に媚びるのも、ほどほどにしてもらいたい。



「生きている」というのは、もっと、血の通ったことだと、俺は思う。

こんな風に日々、早く時が過ぎればいい、今日が早く終わればいいと思いながら過ごし、そのくせ明日を心待ちにすることもない。

こうやって明日も早く終わり、その次の日も早く終わり、その次の次の日も早く終わればいい、そう思いながら生きるのは、生きているのではなく、こなしているのだ。

連綿と続く、死ぬまでの時間を、飲み下すようにやり過ごしているだけだ。



土産というほど大したものを買っていってやったことは一度も無い。
ただ、寒い冬の日、俺は時々家の近くの自販機でコーンスープを買って帰った。

熱いから気をつけろ、そんな風に言って渡すと、ガキは小さな目を見開いて、嬉しそうに笑い、「開けて」と言ってもう一度俺に返した。

何度買って帰っても、俺はガキにプルタブを開けてから渡してやったことは無かった。

照れくさかったのか、面倒だったのか覚えていないが、それは俺とガキが唯一、親子の真似事のようなものをする時間だった。