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おしゃべりダイアリー

主に(純文学)小説新人賞についての備忘録
公募や、受賞作、その他
本のことやら、日常なんかをつらつらと。

こんにちは。

今日は島根県の詩人・喜多行二(きたこうじ)さんについて紹介したいと思います。

喜多行二さんは昭和六年、島根県のお生まれです。

島根県出雲市で詩の同人雑誌「光年」を創刊、主宰。

平成七年に病没された、地元の詩人です。

喜多行二さんは「干拓地」(東京)「潮流詩派」(東京)にも同人として参加されていたようです。

 

手元にある書籍「しまね文学館」によりますと、

喜多行二さんが生涯をかけて追求した詩の主題は、矛盾と汚辱に満ちた日常を告発し

調和的な世界の実現にむけてたたかう人間の思惟へのエールを歌うことにあったそうです。

 

まあ難しいことを言いましたが私はこの喜多行二さんの詩集と偶然地元の古本屋で出逢い、

そのうちの「石」という詩にいたく感銘を受けました。

 

全文を載せるのは著作権的にいけないと思うので、

私の目線から詩を解釈させていただきます。

 

タイトルは「石」

 

石は石で河原ではいつも無視されているが、

それが石らしい在り方だ

 

瀬音を聞きながら

光と影の交錯の中で

その位置を占め

重さ硬さが一層物へと純化する

時折は安気な

背黒セキレイの休所

その小さな影が

石の仄かな表情である

 

石に

悲しみ絶望がないと誰が断言できよう

 

(中略)

 

石は苔庭に運ばれ

人工の値札をまとい

 

観賞のラップで包装される

 

そして物でなくなり

物としての火照りを失い

人の眼の片隅の

いわゆる即物的な

重っ苦しい「石」になる

 

という詩です、

ちょうど長いスランプのトンネルの入り口にいた私に

光を投げかけてくれた詩でした。

 

新人賞の河原という場で石として私は或る。

結果が出ないので石は石として無視されているが、

それが石らしい在り方だ。

セキレイの休み所として小さな影をうつす。それも石の表情だ。

石は苔庭に運ばれ値札をつけられ物でなくなり重苦しい即物的な石となる。

私の原稿もどこかへ運ばれ、値札はつかないけれど、

重苦しいただの紙束になる。

 

私は私でこのままでいいんだって救われました。

石は石のままでいい。

石は石として石なりの表情を出せば良い。

河原で無視され値札がつかなくても、

ただの紙束になっても、

それでも「石」は石のままでいい。

 

確かに新人賞はダイヤモンドになることを求められるけれど、

そのとき(スランプの時期)は、ただの石である自分が認められなくて

ダイヤモンド以外認められなくて、

苦しんでいました。

 

そんな時に手をさしのべてくれた詩集でした。