このところの禁酒の効果で、推敲が捗っています。
土日はまあ、ご褒美ご褒美とお酒。
そうしたらやっぱり(夜)推敲出来ない。
土曜日は1日外出していました。
今日はようやく腰を落ち着けて、PCの前に向かえているところです。
疲れて頭の回りづらい平日とは違って、
休日は全力をかけて創作へと向かえます。
Twitterでこんなお話が。
「自分は純文学が書きたいわけじゃない。
たまたま書いているものが純文学というものに
カテゴライズされるから純文学を書いているだけ」
自分はどうだろうと立ち返ってみる。
自分が書いているものがたまたま純文学にカテゴライズされるから
書いているのだろうか。
果たしてそうだろうか。
少女小説を読み、
書き、酷評を受けて、一度それよりましな選評を貰い
満足した私に衝撃を与えてくれたのが、
西村賢太さんだった。
文学はもっと、お高いインテリのものだと思っていたからだ。
わたしはわりとロクな人間ではないので、
西村さんの作品を読んで衝撃を受けた。
そして、
すばる文学賞の受賞作を手当たり次第読んでいったときの、
あの楽しさ。
文藝賞受賞作を読んでいったときのあの衝撃の強さ。
新潮新人賞受賞作を読んでいったときのあの重厚さ暗さ。
最近好きになった小山田浩子さん、小川洋子さんに加え、以前から好きな瀬戸内寂聴さん、宮本輝さん
川上弘美さん、他にもいっぱい。
絶対敵わない三島由紀夫御大、村上龍さんの「限りなく透明なブルー」の衝撃。(衝撃衝撃言ってますが)
外国ではジョルジュ=バタイユ。
遅く訪れた太宰ブーム。
太宰の短編はたのしい。
たのしいという表現がふさわしくない作品、
きっと、「斜陽」「人間失格」「ヴィヨンの妻」なんて
もっともっと若かったらきっと拒絶していたかも。
エンタメのような「これ」という定型にない、純文学というジャンル。
私は、とても好きです。
公募ガイドにもあった
「エンタメは家のインテリアを新しくする」
「純文学は家の構造そのものを新しくする」
たまたま自分の書いた作品が“インテリアを新しくする”ものではなくて
“家の構造を新しくする”作品だった。
と言えばすごく失礼な発言なような。
たまたま私新しい建築のカタチを思いついちゃったんですよ。
なんて大仰なことはとてもとても言えない。
取り組むとき、そんな姿勢ならば、私だったら筆を折る。
もう、これしかない!純文学しかないと心に決めて、
取り組む事が出来るかどうか。
いや、確かにエンタメにも手を出しました。
純文学にも手を出しました。
ライトノベルにも手を出しました。
どれもふるわないけれど、
やっぱりコレと思うのは純文学。
純文学で結果を出したい。
「私は純文学を書いているから、純文学を志望する」
時代小説にも興味がないわけではないけど、
それは“いま”じゃない。
ひょっとしたら、今生ではないかもしれないし。
私はブレずに、純文学を通していきたい。
そう思う、心から。