忘れもしません9月30日。。。遂に配偶者VISAをGetしましたぁぁぁ



2007年4月に1回目の申請。。。見事却下。

2008年6月に2回目の申請。。。無事取得。。。

実は...アッララには、重大な秘密があったのです

(大阪入国管理局に、トルコ滞在中から頻繁に連絡を取らせて頂き、
日本帰国後は頻繁に足を運び、誠意を尽くしてやっと手に入れたVISAです。
ご協力頂いた皆様にはホントに感謝しきれません)。。。←ここは真面目に。。。
お気づきの方いらっしゃるでしょうか。。。

普通、トルコからだとNO-VISAで3ヶ月は滞在出来るんです。。。普通は。。。ね

”じゃあ何故、アッララは私と一緒に日本に来なかったか???”
と言う、素朴な疑問をお持ちの方。。挙手願います


(えぇーッそんなに居るの???..笑)回答は。。。
一緒に来なかった。。。。のではなく
一緒に来れなかった。。。のです。
この”れ”の持つ意味は非常に大きいです。
実は。。。アッララの従兄弟が10年以上前から名古屋で会社を経営していて、
その従兄弟に頼まれ23才の時に来日し、従兄弟の仕事を手伝っていた。
NO-VISA=観光のみ。。。です。
仕事なんかしちゃダメです。
だがしかし。。。そこは強気なトルコ人。日本”円”の魅力に負けて働き続ける事、丸2年。。。
”この時点で、アッララになにが起こっているか???”
解った方、再度挙手お願いします


そうです。。。”不法滞在”です。
↑
これって、明らかな犯罪行為です

アッララはこの不法滞在により、拘留され強制帰国に。。。(前科持ちやん)
以降、5年以上日本には入国出来ないという ペナルティー付き。。。
アッララ25才のときです。
アッララは知り合ってすぐ、この事について 私に告白しました。
そして、初めてトルコに行く前、アッララに聞きました。
”私を誘うのは、VISA目的なの??”。。。と。。。
結婚する時も。。。
”VISAの為の偽装結婚なの??”。。。と。。。
※アッララにはきれいな(?)日本語を学んでほしかったから
彼と話す時は大阪弁を使わず、標準語使ってました(気色ワル~
)アッララはその都度否定←そらそうやろ。。ここで肯定は出来んやろ

日本人の常識で考えて、初婚の27才の男性が
20才年上で/20才の息子が居る /外国人の/跡取り産めない/女を
普通の恋愛感情だけを持って、結婚出来るのか??ずっと疑問に感じてた(悲)
でも結局結婚して、トルコに移住し、アッララ・ファミリーと共に暮す中で、
アッララの愛情が本物であり、ファミリーの愛情もまた 本物であると信じる事が出来た。
なんせ、1才年上のお義母さんが最強の味方ですから(笑)感謝してます

不法滞在・強制送還・日本上陸不許可の3拍子揃ったアッララが
1回目の申請で却下されるのは当たり前の事

(1回目は試しに申請しただけ)日本に戻る予定も無かったので、結局そのまま放ってた。
(アッララから、日本に行こうと誘われた事が無かったから、
VISA目的の偽装結婚じゃないって確信したのであった。。。あはは単純)
ところが。。。件の通り、息子の依頼により急遽帰国。
9ヶ月だけの為に大金を使うのは勿体ない。。。
もしVISAを取得出来れば、しばらく日本で暮らしたらイイやん。。。と考えた私。
再度申請手続きを。。。
誠心誠意、心を込めて申請手続きを進め、
“一番偽装を疑われる結婚ですね”と言われながらも何度も話し合い
特例と言う形で、当時の局長が直々外務省に話をつけて下さり、
結果、異例の早さでVISAを手にする事が出来たわけです。
もう2度と日本には行けないと思っていたアッララ。
VISA取得の報告をすると、何度も何度もありがとうと。。。目をまっ赤にしながら。。。
30日以内に入国しないと無効になってしまうので(確か、そうだったと思う)
トルコのカフェを売り、急遽アッララが来日することに。。。
当時はアッララに再会出来る喜びでいっぱいの私でした

そして2008年10月23日再来日

2ヶ月ぶりの再会です。
関空で熱い抱擁をかわし、一緒に過ごせる幸せをひしひしと感じる2人であった
なんちゃって
しかしこの感激の来日が、1年3ヶ月後の壮絶離婚の幕開けだったのです。。。
次回”ぶた
は禁句なイスラム教。。。日本の生活は大変”です。重大なカミングアウトの次は、のほほんとしたエピソードお届けします(笑)