先週末、チームの卒団式が行われた。
コロナ禍で体育館に入る人数も限られ、今年卒団する子供達は今まで人類が経験した事のない事態に飲み込まれた形になった。
しかし、素直に卒団おめでとう!
だが、我が息子のチーム卒団式はまたまた謎がある。
6年生の保護者ではなく、5〜4年の保護者が中心に前日の夜から準備、贈り物はママ達が集まり手の込んだ物となる。
贈り物はこれを作らなければならないと言うルールがかり、それを更にアップデートする。
心の中ではやりたい人がやって、やりたくない人や苦手な人は何か他のお手伝いするとか、まぁ何もしなくても良いと思うが、これもほぼ強制的。
それ以上に不思議なのは、何故6年生の保護者も来賓扱いなのだろう?
これは違和感が…
野球を選択し、練習をがんばり、そして卒団するのは子供、保護者ではない。
受験を頑張った子供の保護者は誰かに褒められたいのか?
そりゃ資金繰りをして受験に臨み合格するのに、親の協力は必要不可欠だが、子供の為にしたんじゃないの?
野球も子供が頑張るから応援やお手伝いをしたんじゃないの?
親が子供のサポートするのは当たり前で、それを下の学年の保護者がお疲れ様でした〜って…
最近の親御さんは自分も褒めてもらえないと、子供にサポートしてあげられないんですか?
卒団する子供の保護者が自分の子供含む卒団員に頑張った、おめでとうじゃないの?
卒団する保護者が監督、コーチにありがとうございました!じゃないの?
残る学年の保護者は確かにお世話になっただろうから、保護者が保護者にお礼を言うのが当たり前のことであり、卒団式も下の学年はお手伝いはするべきだが、卒団員の保護者は卒団じゃないって
学校の卒業式も親が卒業する訳ではないでしょ?
素直に卒団する子供はおめでとう!
だが
保護者には卒団おめでとう!とはならないぞ?
現に、私は卒団したチームと関わりはほとんどなく、会話した事ある子は2人くらい。
これで、心を込めた贈り物なのだろうか?
形だけの物になっていないか?
妻は大変だったと、しかし出来上がったら良いものできたからいいか…
否定はしないが、それは物を作った満載感。
本来はもらった人が喜んで満載してもらって、はじめて嬉しいものなんじゃないかと…
いつかどこかで間違えたのだろうが、贈り物や卒団式は誰の為にするものなのかをもう一度考えた方がいいんじゃないかな。
なんだか大人が中心、正直子供達が可哀想。
昔からいるとのコーチは学校の正門前までタバコ吸いながらやってくる…
私がやめるようにチームから注意されたのではないのか?
注意されても無視か?
呆れる。
もう時代は変わったんだよ
卒団式や父母会は変な方向には変わってる
悪いことは継承するつもりか?
この1年を振り返り、来年私はチームとの関わり方を考えようと思う。
子供にとっては1日だろうが、1年だろうが無駄な時はない、大人の身勝手が横行するならば、私も態度を変えようかな…
マナーや法律を守らない人が同じ団体にいても、見て見ぬふりをする大人は同罪だと言わせるなよ
くだらない…