今日も夕方から近くの公園でキャッチボール程度の練習をしてきた。
ところが…
その公園には毎回同じ顔ぶれの同級生が遊んでいる、公園だから誰もが自由に使えるので遊ぶのは自由だ、が、公園の1番端で練習しているのにもかかわらず、わざわざ練習している同級生に近づいて
"何やってんの? 野球の練習? かっこいー!"
などと揶揄ってくる。
公共の場なのでしばらく我慢していたが、セットポジションに入った子の顔を覗きこんで
"何してんの?"
セットポジションに入った子は涙目、もちろん私がキレる訳にはいかない、なので私がその子に
"何?用事?"
その子は私に
"同級生の友達だから" と
落ち着け、落ち着けと抑えながら
"友達なら真面目に練習してるのじゃましないで野球の練習してるのわからない?"
と、私が聞くと何も言わずにさっさと逃げる…
その後、その子を含む3人が並んでキャッチボールしている子に
"もっと早いの投げて! それが一番早いの?"
私は頑張って我慢した、練習している子も我慢した、しかし次は俺は我慢しないからな!
1人1人の家行って、本気で練習に取り組む友達を茶化すあなたのお子さんは友達思いですか?それとも間違った事ですか?と聞きに行こうかと。
その数人の中に1人サッカーを真剣にやっている知り合いの子がいたが、その子は茶化すのはいけない事、自分がやられたら嫌なこと、どちらか分かっているのであろう、練習が終わるまでは私にも練習している子供達にも話かけてこなかった。
子供は友達と遊ぶのが1番楽しい、公園だからみんな遊んでいるのだ、練習も遊びのうち
しかし、大きく違うのはただ遊んでいるのと、大人に教えてもらいたくて友達と遊ぶよりも私との練習を選んだということ。
もし、私と一緒に練習してくれている子供が真剣でなければ私は教えない。
私が真剣、教えてもらう側が適当、そんな馬鹿げた事はしないし、したくない。
今日は息子が友達と先に約束したので、息子は練習にはこなかった、先の約束の方が優先なのは当たり前のことで、息子は参加したかっただろうがあえて参加させなかった。
帰宅して、揶揄った子供達の特徴を息子に伝えると、あいつら普段何もしてない集まり、と返ってきた。
小学生の頃からそんな真面目に何かやらせる事はないと言う親に言っておく
今、好きな事に真剣に取り組み、ただ遊ぶより上手くなりたい!と練習をする子は、この先も厳しい道を自ら選んででもなしとげようとする。
そして、全てをかけて何かにうちこむことなく、同級生の真面目な姿をバカにする子供はやりたいことも見つからず、真面目に何か自分が取り組むことを恥ずかしいと自ら思う。
親がやらせたことならば、必ず途中で諦めるか中途半端に辞めていく、そしてその子供の親は自分の子供が何かに夢中になると、そんなことばかりしないで勉強しろと言う。
勉強していれば将来何とかなると思っているが、何とか生きてはいけるが大成しないことを知らない。
そして、練習を真面目に取り組んでいる子は、この先の長い人生で必ず真剣に何かに取り組んでいたことが役に立つ時がくる、多少辛い事があっても、途中で投げ出したり逃げたりしない。
自分の子供が目標に向かって取り組む姿勢を見て私達親が自分の子供に尊敬したことがある親はそういない。
以前息子がしていた競技で出会い、今も付き合わせていただいているパパ達は子供達の為に頑張っている、子供が頑張っているのだから当たり前のこと。
子供の可能性を潰すのも、引き出すのも親次第。
それが親の責任とわからない親が多すぎる、これを読んで大袈裟だと笑うあなたは努力の大切さを知らないと自覚した方がいい。
努力を嘲笑う大人は子供に教育と謳いながら金儲けを平気でしたりする、保護者には偉そうな事を言い誰かれ構わず金儲けを企む、実際に子供の安全を全く無視して競技の成果を出す大会などと言って金を集める。
しかし、わかっている人はわかる。
化けの皮は剥がれ、やがて消えていく。
いや、消えろ!
子供達の真剣に教わる目を見た事がないのだろう
私はあの目をみたら、中途半端な気持ちで息子にも他の子供達にも何も伝えることはできない。