「地域主権改革」は住民主権を基礎にした地方自治とは違う | すくらむ

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 ※「連合通信」の配信記事を紹介します。


 「連合通信・特信版」2010年7月5日付No.1059
 「地域主権改革」 識者に聞く 【白藤博行・専修大学教授】
 住民主権を基礎にした地方自治とは違う


 Q1 地域主権は、住民自治や地方分権と違うのですか?


 「地域主権」という概念は、聞こえはいいが定義が曖昧だ。「地域主権改革」は「地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにする改革」というが、本当にそうなるのかどうか。


 例えば、基地問題でゆれる「宜野湾主権」「沖縄主権」を想定してみれば一目瞭然だ。自らの判断と責任において決めていいなら、米軍基地撤去の意思は尊重されなければならないはずだ。しかし、地域主権を唱える現政権は全くそのような対応はしていない。地域主権は住民主権を基礎にした地方自治ではなさそうだ。


 Q2 道州制を打ち出している点を、地方自治の観点からどう見ますか?


 「道州制」についての検討が今度の大綱に盛り込まれたが、これまで「住民に身近な行政」の実現を重視するとしてきたことと矛盾する。都道府県の廃止を前提として道州を設置するとなれば、またもや市町村合併は避けられないことになろう。「道州自治体」が「住民に身近な行政」を行うなどとは想定できないばかりか、さらなる市町村合併で誕生する大規模な「基礎自治体」は、大綱自身がいう「住民に最も身近な行政主体である基礎自治体」ではありえず、そうすれば「基礎自治体への権限移譲」も意味がなくなる。「道州制」は地方自治と無縁の話だ。


 Q3 一括交付金や国による義務付け・枠付けの見直しをどう見ますか?


 たしかに住民の意思と責任で事務を処理できるようにしようという地方分権の理念は大事だ。しかし、一括交付金で自由に使えるお金は本当に増えるのか。自治体が財政危機の状況にあるなかで、そもそも社会保障・福祉に回せる金はあるのか。回せなかったときに、国に「知らないよ。自治体の問題だよ」と言わせてしまう便法をあたえることになるだけでないのか。これでは、とても悲しい国・日本になるだろう。


 例えば保育所基準一つをみても、国の立法的関与の見直しと称し、省令基準を値切る方向へ誘導しているようにしかみえない。「切り下げ条例」を奨励するかのような「義務付け・枠付けの見直し」は国の責任の転嫁に過ぎず、とても地方分権の名に値しない。憲法が定める住民の生存権保障を国も自治体も一緒になって実現する地方自治・地方分権論が不可欠である。