さて、旅を始めて3週間ほど経ちました。
先ほど友人と合流しまして、これをもって学生生活最後の一人旅は終了となりました。
したがって、“英語禁止”のルールも解除致します。
残りの1週間は思う存分英語話します。
3週間英語を使わずに南米を旅してみた印象は、一言で言えば「思ったよりいけるな」です。
英語を使わないと決めたものの、はじめは本当にできるのか自信がありませんでした。何度も英語を話しそうになりました。
でも、南米ってそもそもあんまり英語が通じないんです。それでも世界中からスペイン語が話せない旅行者がやってきて無事に旅をしているわけだから、言語ってそんなに重要なものではないんじゃないかと思ったんです。
大切なのは伝えようとする意思。それだけです。
金額や日付•時間なんかは電卓と筆談で問題なく伝わるし、YesかNoかなんて簡単なジェスチャーでどうにでもなります。
ホテルに行ったら「泊まりたい」、レストランに行ったら「食べたい」という意思が黙っていても伝わっているので、あとは指差しだけでいけます。
住む土地こそ違えど同じ人間なんだから、こちらが一生懸命伝える意思を見せれば分かってくれるんです。
僕が今回の挑戦をしたのには、実はもう一つ理由があります。
僕を含め日本人旅行者は、日本での“当たり前”を旅先に押し付ける節があります。
電車が遅れた、接客態度が悪い、トイレが汚い、ご飯が美味しくない。
どれも日本人であれば頭に来る事柄ですし、僕も初めの頃はぶつぶつ言っていました。
しかしその土地ではそれが“当たり前”であり、よそ者が勝手に旅行に来てそれに不満をもらすのはおかしいことに気付いたのです。
アメリカ人が日本の映画館でジュースを買って「なんでこんなに小さいんだ!」って怒ってるのを見たことがありますが、まさにそんな感じです。
英語だって同じこと。
これまで色んな国に出掛けてきましたが、台湾の南部やラオスの田舎なんかは驚くほど英語が通じませんでした。
英語が全然通じないと「なんで話せないんだよ」なんて思ってしまうけれど、彼らは彼らの言語で生活しています。
そこに土足でズカズカ入っていって英語が話せないことを批判するのは、それこそ映画館のアメリカ人です。
そもそも日本だって英語通じないし。
一方で、英語ができる相手であっても、ガイドブックを片手に彼らの言葉で話しかけると、心の距離が一気に縮まります。
「世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔」なんて言いますが、ほんとにその通り。むしろ英語なんて喋れない方がよかったりします。
せっかくの旅先での出会いの芽を、英語なんかに潰されたくない。英語を話すことによって心に壁ができるなら、英語なんてなくなった方がいい。
今回の挑戦にはそんな想いも込めていました。
実際に今回の旅は、これまでのどの旅と比較しても、現地の人と格段に近付くことができました。
英語が使えない分、他の部分で仲良くなろうとしたのも大きかったと思います。
氷河をバックに一緒に裸になりました。
一緒にけん玉もやりました。
ツルの折り方も教えました。
よく分からん木の実や幼虫を食べさせられました。
どれも素敵な思い出です。
たしかに英語を話せばもっとスムーズに旅ができたかも知れないけど、英語を話していたらこんな素敵な旅にはならなかったでしょう。
これからは普通の旅に戻りますが、この3週間のお陰で、今後旅がもっともっと面白くなりそうです。
最後の目的地はイースター島。5日間モアイと戯れて、サンチアゴ付近で2日間まったりして帰国となります。
17年間の学生生活の総仕上げ。全力でバカになってこよう。