いらっしゃいませ。
米国の企業(日本支社)に勤めた後、専業主婦になりました。
色々なもの・ことに興味あり、日々の出来事もあわせてそれらを綴りながら
ムスメの幼稚園受験とこれから向かえる小学校受験についても記録します。
東日本大震災
最後のブログ更新からかなりあいてしまいました。
その間、日本では大変な国難に直面し軽々しく言葉では言い表せない感情があります。
3月11日 金曜日。
あの日、私と娘は幼稚園から降園し近くの公園に何組かのお友達親子といました。
子供同士、目の行き届く少々離れたところで走り回ったりブランコに乗っていたり、お友達ママと私はしゃべっていたり、いつもの風景でした。
1人のママが
「揺れてない?」
「あ、ほんとだ揺れてるね」 と私とお友達ママ。
その他のお友達ママ達も、「揺れてる、揺れてる」、、、
「なんか大きいくない?」
「すごいよ、これ!」
と、都内の公園でもしゃがみこんでしまうくらい大きく揺れました。
他の幼稚園の子供たちやシッターさんが連れた子供もみんな悲鳴をあげしゃがみこんでしまいました。
その時すぐ思ったことは、震源。
この揺れの震源の近くなのか、そうでなくても近い場所はもっと揺れていたのではないか。
携帯のワンセグで NHK を見つつも外出先であったので詳しい情報も得られないまま余震も気にしつつ状況が落ち着くのを待ち帰路につきました。(自転車)
帰宅してまず目にしたのは、各部屋のドアが全部開いて見た事のない風景だったこと。
幸い、食器が落ちてきたりはなかったですが積み上げていた荷物がいくつか落ちていました。
そしてテレビの電源を付けた瞬間。
東北で起こっている事が映し出される光景を見て、頭や心が動かなく・何も聞こえなくなったような感覚がしました。
ヘリコプターで上空からの Live 中継で、きれいに整地された農地に津波がどんどん押し寄せてくる光景。
黒煙があがる箇所、家も車も流される映像。 思い出すだけで言葉が止まります。。。
地震、津波、それに影響を受けた原子力発電所の人災、、、
今まで生きていた中で、私の知る限り、過去の歴史であったり、よその国で起こっていた事が自分の目の前、この日本で起こった事がなかなか信じられませんでした。
(実は、阪神・淡路大震災当日、私は入院をする日でした。テレビを見るほどの
元気もなく半年ほど入院しており震災当時の様子をほとんど見ていないのです)
余震や原子炉の状況から目が離せなかったので、ずっと NHK をつけていました。
娘はこの国で起こった事の理解があるようで、なぜ地震が起こるのかよく聞いてきました。
分かりやすく、一歩踏み込んだ内容で教えてあげました。
そして、自然を研究するにしても予知はできないことや
このような事が起こった時、被災する当事者だったら、当事者でなかったら何をするべきか
電気はどうやって作られその電気がないというのはどういう事が起こるか、
今ある便利な生活全てに感謝をすること、、、 4歳には難しいかもしれませんが彼女なりに真剣な顔で聞いてくれました。
こんな事が起こったから教えるというのは悲しいことです。
娘はよく大きくなったら〇〇になりたい、と言うのですがどんな職業でも私は心から賛同して
「しっかり勉強すればなれるよ」と言っていました。
「じしんのおべんきょうをして、こういうひどいことがおこらないようにしたい」と言ってました。
未来ある子供達のためにも、先人が困難があっても立ち向かって立派に作り上げた
日本国という国と国の繁栄を守っていきたいと思います。
最後になりましたが、この震災で亡くなられたたくさんの方々のご冥福を心からお祈りすると共に被災された方々が1日でも早く笑顔が戻るように私も努力していきたいと考えます。
「がんばって」ではなくて、みんながいます、安心してください、ですね。
その間、日本では大変な国難に直面し軽々しく言葉では言い表せない感情があります。
3月11日 金曜日。
あの日、私と娘は幼稚園から降園し近くの公園に何組かのお友達親子といました。
子供同士、目の行き届く少々離れたところで走り回ったりブランコに乗っていたり、お友達ママと私はしゃべっていたり、いつもの風景でした。
1人のママが
「揺れてない?」
「あ、ほんとだ揺れてるね」 と私とお友達ママ。
その他のお友達ママ達も、「揺れてる、揺れてる」、、、
「なんか大きいくない?」
「すごいよ、これ!」
と、都内の公園でもしゃがみこんでしまうくらい大きく揺れました。
他の幼稚園の子供たちやシッターさんが連れた子供もみんな悲鳴をあげしゃがみこんでしまいました。
その時すぐ思ったことは、震源。
この揺れの震源の近くなのか、そうでなくても近い場所はもっと揺れていたのではないか。
携帯のワンセグで NHK を見つつも外出先であったので詳しい情報も得られないまま余震も気にしつつ状況が落ち着くのを待ち帰路につきました。(自転車)
帰宅してまず目にしたのは、各部屋のドアが全部開いて見た事のない風景だったこと。
幸い、食器が落ちてきたりはなかったですが積み上げていた荷物がいくつか落ちていました。
そしてテレビの電源を付けた瞬間。
東北で起こっている事が映し出される光景を見て、頭や心が動かなく・何も聞こえなくなったような感覚がしました。
ヘリコプターで上空からの Live 中継で、きれいに整地された農地に津波がどんどん押し寄せてくる光景。
黒煙があがる箇所、家も車も流される映像。 思い出すだけで言葉が止まります。。。
地震、津波、それに影響を受けた原子力発電所の人災、、、
今まで生きていた中で、私の知る限り、過去の歴史であったり、よその国で起こっていた事が自分の目の前、この日本で起こった事がなかなか信じられませんでした。
(実は、阪神・淡路大震災当日、私は入院をする日でした。テレビを見るほどの
元気もなく半年ほど入院しており震災当時の様子をほとんど見ていないのです)
余震や原子炉の状況から目が離せなかったので、ずっと NHK をつけていました。
娘はこの国で起こった事の理解があるようで、なぜ地震が起こるのかよく聞いてきました。
分かりやすく、一歩踏み込んだ内容で教えてあげました。
そして、自然を研究するにしても予知はできないことや
このような事が起こった時、被災する当事者だったら、当事者でなかったら何をするべきか
電気はどうやって作られその電気がないというのはどういう事が起こるか、
今ある便利な生活全てに感謝をすること、、、 4歳には難しいかもしれませんが彼女なりに真剣な顔で聞いてくれました。
こんな事が起こったから教えるというのは悲しいことです。
娘はよく大きくなったら〇〇になりたい、と言うのですがどんな職業でも私は心から賛同して
「しっかり勉強すればなれるよ」と言っていました。
「じしんのおべんきょうをして、こういうひどいことがおこらないようにしたい」と言ってました。
未来ある子供達のためにも、先人が困難があっても立ち向かって立派に作り上げた
日本国という国と国の繁栄を守っていきたいと思います。
最後になりましたが、この震災で亡くなられたたくさんの方々のご冥福を心からお祈りすると共に被災された方々が1日でも早く笑顔が戻るように私も努力していきたいと考えます。
「がんばって」ではなくて、みんながいます、安心してください、ですね。





