どうやら自分は好きになりやすいらしい。それは一般的な恋愛に対する好きだけではない。
友達にも、仕事とか、バイト先の先輩後輩にも。人の良いところを見てしまう。
ただの自慢のように聞こえるかもしれないが、私は私が単純すぎて嫌になる瞬間がある。
最近、友人に何で友達の方が下で、恋人の方が上みたいな常識はあんぜなのかということを話してみた。すると、恋人はずっと一緒と思うからだろ、と至極全うな返事がきた。
そんなことは自分もわかっている。でも、友達もずっと一緒にいたいじゃないかと思った。
なんなら、恋人よりも年数を共にしていたり、自分のこと知っている面も多くある。恋人なんて、たかが数年。それで、自分の何がわかるのだろうか。自分がいくら過去を話したとしても、その場に一緒にいたわけではないから、完全にはわからない。友達とはこれまで、数多くの時間や経験を共にしてきた過去がある。その差はこれから絶対に埋まるものではない。きれいごとを言えば、それを埋めるために、これから長い時間をともに過ごそうね、とか言って永遠を誓ったりするんだろうけど、その言葉を言う時点で恋人の方が二人の関係地としては短いことが表れている。
友達とずっと一緒にいたいと思うのはずれているのだろうか。それも多様性という枠組みに入れられてしまうのだろうか。
では、果たして恋人としての好き。英語ではLOVEなのかな。それはなにをもって決まるのだろうか。性的感情を抱くから?この人といると安心するから?顔が好きだから?考えればいくらでも出てくるくらいにラブになる要素などあるし、それも人それぞれだろう。ここで一つ疑問なのが、性格的な要素はどれも恋以外の感情にも感じることなのではないだろうか。つまり、性的な何か、欲求に惹かれるしかないということ。例えば、趣味が一緒だ、とか。それは誰にでも言えることだろう。趣味が一緒だ!もっとこの人と話したい!となるのは同性にはみんな思わないものなのか?
実際にあった話でいうと、インターンの最終日にインターン先の職場の何人かの先輩職員が飲みに誘ってくれた。その二軒目で、音楽についての話が盛り上がり、もっと話したいと思ったことがあった。もちろん同性だし、おじさん。そういう人は何度も会いたいと思うし、もっと知りたいと思う。これは普通じゃないのかな。
そうだ。私にとって、好きは知りたいなんだ。Tシャツが乾くまでの夏帆のように、違いをおもしろがりたいからもっとその人のことを知りたいって思うんだろう。そこに、性別も、年齢も、職種も、経歴も関係ない。ただ、今生きている一人ひとりへの興味が強いのかもしれない。