死にたいわけじゃないけど 生き延びているのが 辛い日もあります

 

雨混じりの春の雪があがって 畑で 土づくりを始めました

道を通りかかった Aさん「こんにちは 最近 体調いかがですか?」

私「こんにちは こんな としより 生き延びても しょうがないのにね」

何気ない会話が 辛かった

逃げ出したかった

 

Aさんは 家も近く いろいろと 顔を合わせる機会も ある方で

奥さんが 私と同じころ 癌を発症しました

 

癌の種類は 違っても 最初は ステージⅣ 手術不可の状況は 同じでした

抗がん剤の副作用で 苦しんでいた頃は 同じでした

 

私は 手術まで こぎつけ なんとなく元気になっているような気がし始めたころ

A夫人は 抗がん剤が 合わず 転移が 始まってしまいました

  

私が死んでも 困る子は いません 泣いてくれる子はいると思うけれど 

代わりたい

わが子が 苦しむのを 見ているようで 辛く 苦しかった

 

「治療を辞めたい」などと言い出して 主治医を困らせていたのは この頃から

ストマに 責任押し付けて「死にたい」などと 言って

精神科を紹介されたけれど 自分が 何を求めているのか 分からなかった

抗がん剤が終わって ゼジューラが 始まった時には

これも 延命と感じて 飲みたくなかった

 

やがて Aさんから「治療を やめようと 思っている」と聞いてから

だんだんと 聞かず 語らずに なっていきました

 

2023  12月 訃報が 息子の携帯に 入りました

息子は Aさんと 同じグループに入っています

葬儀には 私も連れて行ってもらいました

私の葬儀のために用意した喪服を着た 息子に

それが とても 悲しかった

 

葬儀後の 自分の診察は 辛くて わけもなく 泣いてしまって 

先生に 迷惑を かけてしまいました 

自分のことで 泣いたことなんか なかったのに

 

どうしようも無いことです

分かっては いるつもりです

死にたいわけじゃないけど

生き延びるのが 辛い日も あります

 

今日 お目にかかった Aさんは 少し 落ち着いたようにも 見えました

 

八つ当たりしてしまったストマには 謝らなくてはいけません

主治医には「これから 一生懸命 生きます」と 言わなくてはいけません

 

春の足音は もう 聞こえています

 

古希婆の余命は がんばる皆さまのために