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 ①  アメリカ大陸におけるレスリングの始まり 

 アメリカ大陸におけるレスリング文化は、ヨーロッパ各地からの移民文化が交錯する中で形成された。当時はプロフェッショナル競技としてではなく、あくまでアマチュアの力試しや民衆の娯楽としての性格を帯びていた。前項終わりに述べた民族レスリング(=フォークレスリング)が各地から大陸に持ち込まれた形で、明確な統一ルールは決められていない。その中で最初に最も広く流行したとされるのが、アイルランド移民によって18世紀後半に伝えられた「カラー&エルボー」スタイルである。ジャケットを着用し、開始時に相手の(カラー)と(エルボー)を握った状態から始まる形式で、投げて相手の背を地面に付けることを目的とし、ルールによっては寝技によるサブミッションも認められていた。

 

 

 カラー&エルボーの名手として最も有名なのが、アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンである。若き日の彼はカラー&エルボーにおいて「300戦1敗」と伝えられるほどの強豪であり、身長193cmという恵まれた体格を活かして多くの勝利を収めたと記録されている。正確な戦績データの裏付けはないものの、彼が地域社会において卓越したレスラーであったことは史料からもうかがえる。南北戦争(1861–1865)時には軍営でもカラー&エルボーが盛んに行われ、リンカーン自身の経験は兵士たちの間に共有されたレスリング文化とも共鳴した。

 


エイブラハム・リンカーン
1809年~1865年

現役期間:不明
強さ:不明
影響力:★★★

知名度:★★★★★
スタイル:フォークレスリング
戦歴:300勝1敗

   第16第アメリカ大統領

 

 南北戦争終結後、カラー&エルボーに見世物的な演出が加わり、「カーニバル・レスリング」と呼ばれる形態へと展開する。これこそが現代のプロフェッショナル・レスリングの直接的な原型である。その証左として、現代プロレスにおける試合序盤の攻防ロックアップは、カラー&エルボーの開始姿勢を受け継ぐものであると広く論じられている。

 

 ②  プロフェッショナル化とスター誕生 

 1866年、ジェームズ・H・マクラフリンが、プロレス史上最古の公式タイトルとされるアメリカン・カラー・アンド・エルボー王座を獲得した。マクラフリンはその生涯で、試合中に3人の対戦相手を死亡させたとも伝えられる。さらに、この頃からアメリカでも、グレコローマン・スタイルCACC(=アメリカン・キャッチ)が台頭しており、異なるスタイルのレスラー同士が対戦する際は、両スタイルを組み合わせた独自ルールや、ルールごとの三本勝負形式で試合が行われることもあった。

 


J・H・マクラフリン
1844年~1905年

現役期間:1859年~1902年
強さ:★★★
影響力:★

知名度:★
スタイル:カラー&エルボー

戦歴:米カラー&エルボー王座

   キャッチ、混合戦も豊富

   マルドゥーンに1勝1敗

 

 マクラフリンを混合ルールで撃破するなどで、アメリカを代表するレスラーとなったのがウィリアム・マルドゥーンである。1876年にニューヨークでデビューしたマルドゥーンは、1880年に警察官を退職して専業レスラーとなりグレコローマンルールの王者に輝いた。競技者としては1881年のクラレンス・ウィスラーとの7時間に及ぶ壮絶な死闘が有名な一方、彼はプロレスを単なるカーニバルの見世物から、組織化されたプロスポーツへと発展させることに尽力した。具体的には、試合に時間制を導入した他、自らとライバルたちの試合を記録した新聞を発行することでファンの関心を喚起し、プロレスラーとして初めての全米レベルのスターとなった。この功績から現代、マルドゥーンは「プロレスの父」と称される。

 


ウィリアム・マルドゥーン
1852年~1933年

現役期間:1876~1889年
強さ:★★★★
影響力:★★★★★

知名度:★★★
スタイル:グレコローマン

戦歴:米グレコローマン王座

   7時間の死闘

   ボクシングと異種格戦

 

 さらに、この時代のアメリカにおける国際的影響としてソラキチ・マツダの存在が挙げられる。彼は大相撲序二段力士を経て廃業し、身長166cm、体重77kgという小柄な体格でアメリカに渡った日本人最古のプロレスラーである。戦績自体は目立たなかったが、「エキゾチックな東洋の挑戦者」として注目を集め、アメリカ興行における国際戦の先駆けとなった。あのマルドゥーンとの対戦では、1時間に5回フォールされたら負けというハンディキャップマッチが組まれるなど、興行的工夫も見られた。マツダは32歳で早逝したが、その存在は初期アメリカン・プロレスの多文化的側面を象徴している。

 


ソラキチ・マツダ
1859年~1891年

現役期間:1883年~1890年
強さ:★
影響力:★★

知名度:★★★
スタイル:相撲

戦歴:大相撲序二段

   日本人初のプロレスラー

   戦績は大きく負け越し

 

 マルドゥーンの時代、プロレスの試合が全て真剣勝負だったか否かについては、無論詳細な資料が残ってるはずがないので論じることは不可能である。しかし、この時代のスポーツは賭博行為が横行していたことからプロレスに限らず競技に八百長は多く存在したと考えられる。また、真剣勝負の試合は長ければ数時間も行われ、見世物としては内容が退屈であることから、日本の大相撲でいう花相撲のような模範試合(カーニバル・レスリング)は真剣勝負よりも多く行われた。ただ、少なくとも1900年~1920年頃まではやはりレスリングの実力こそが絶対であり、実力主義とショーマンシップの過渡期におけるプロレス黎明期の最大のスター、フランク・ゴッチがいよいよ登場することとなる。

 

 ③  19世紀末の欧州のプロレス史 

 まず、アマチュアレスリングの始まりとして、1896年の第1回近代オリンピックアテネ五輪を述べたい。レスリングは国際的にはマイナー競技であったが、古代オリンピックの再現と結びつける形で採用された。ただし、アマチュアの参加が絶対視していたオリンピックには専業レスラーは不参加で、全員他競技と兼業の選手がエントリーされる。ルールはグレコローマン・スタイルで階級分けは無差別、わずか5人の選手が出場する中で、優勝はドイツの体操選手、身長158cmのカール・シューマンであった。

 


カール・シューマン
1869年~1946年

現役期間:不明
強さ:★
影響力:★★

知名度:★
スタイル:体操競技
戦歴:重量挙げの巨漢を撃破
   アマレス金メダル×1

   体操競技金メダル×3

 

 ヨーロッパにおけるプロレスリングの始まりというのは、19世紀のフランスということを前項で述べた。グレコローマン・スタイル(旧フレンチ・レスリング)が発展する中で19世紀末、フランスを代表するレスラーとなったのがポール・ポンズである。1898年に世界グレコローマン選手権を制したとされ、当時のパリやヨーロッパ各地で絶大な人気を博した。厳密には公認の世界王座ではなかったが、彼が「世界チャンピオン」を名乗った事実は、プロレス史における最古の“世界王座”の系譜として記録されている。また、ポンズとデンマークのレスラー、マグヌス・ベック・オルセンの試合は、現存する最古のプロレス試合映像として残っている。

 


ポール・ポンズ
1864年~1915年

現役期間:1888年~1909年
強さ:★★★★
影響力:★★

知名度:★★
スタイル:グレコローマン
戦歴:世界グレコ選手権優勝

   CACCルール経験無し

   最古のプロレス映像有り

 

 同じ頃、ロシア帝国でも伝統的な力比べや民族レスリングの風土から、後に「無敵のチャンピオン」と称されるイワン・ポドゥブニーが登場した。彼は鍛え抜かれた肉体と圧倒的なパワーでヨーロッパ各地を転戦し、1905年のパリ大会を皮切りに、1908年、1909年の世界グレコローマン選手権を制覇するなど複数回の世界グレコ王者に輝いた。その圧倒的な強さから「鉄のイワン」と呼ばれ、欧州におけるプロレスの象徴的存在となった。ポドゥブニーの活躍は単なる個人の成功にとどまらず、ロシアや東欧圏においてプロレスを国威発揚と結びつける先駆けとなった。

 


イワン・ポドゥブニー
1871年~1949年

現役期間:1896-1941年
強さ:★★★★★
影響力:★★

知名度:★
スタイル:グレコローマン
戦歴:世界グレコ選手権連覇
     130戦2敗(?)

   晩年はCACCにも挑戦

 

 このように、アメリカにおける興行的発展とは別に、欧州でもプロレスの「国際化」「世界王者」の概念が芽生えていたことは見逃せない。そして、そうした潮流の完成形として台頭するのがエストニアのジョージ・ハッケンシュミットである。グレコローマン・スタイルを極めた彼は20世紀初頭にアメリカへ進出し、フランク・ゴッチとの世紀の一戦によって、真の世界王者を決する時代を切り開くことになるが、両名については次項で述べることにする。

 

世界最古のプロレス映像