【原作改変アニメのはじまり】
個人的この1作
海のトリトン
7月に始まった『デビルマン』、12月の『マジンガーZ』、翌年の『キューティーハニー』と永井豪ブームが訪れる72年。
この年で"この一作"に挙げたいのは永井作品とは関係ない、4月1日にスタートした『海のトリトン』の方だ。
原作は手塚治虫の作品で、当時手塚のマネージャーであった西崎義展がその商品権利を買い取りアニメ化を計画。西崎は後に『宇宙戦艦ヤマト』をプロデュースする人物である。
さらに総監督に任命されたのは富野由悠季、後の『機動戦士ガンダム』で知られる人物で、手塚・西崎・富野の3人のクレジットが並んだ歴史的作品。
ただし、3人が一堂に同席したことは一度もない。また、手塚は本アニメの制作に一切関与していない。(むしろ後述する原作改変により手塚との関係は絶縁状態になる)
初めて総監督となった富野だが、企画時にはまだ原作未完の作品で結末が分からず、また原作を読んで「つまらない」と判断した富野は、キャラクター設定のみ残しオリジナルストーリーで作ることにした…。
トリトン族のトリトンが「オリハルコンの短剣」を武器に、父母の仇にして村の仇でもあるポセイドン族と戦うストーリーであるが、原作には「オリハルコンの短剣」自体存在しない。
これまで業界における富野の仕事は、絵コンテを書くなど「演出」が主で、世界を設定し、ストーリーを展開させるクリエイターとしての本格的な仕事は本作が初挑戦であった。
余談ながら本作は、日本で初めてファン主体のテレビアニメのファンクラブが作られたとも言われる作品で、とりわけ女性ファンの人気が高かった。
熱心な女性ファンが録音スタジオにトリトン役の声優、塩屋翼(14歳)を目当てに押しかけてくるなど声優ブームの先駆けとなる現象も見られたという。
ただ、一部の熱狂的信者は獲得したとはいえ、メインターゲットの子供にはやや難解だったこともあり、視聴率は低迷して僅か半年で打ち切りが決定…。
その最終回がアニメ史に残る衝撃となったのでこの1作に選んだ。
衝撃の最終回の内容とは「本当の悪者はポセイドン族ではなくトリトン族だった」という、物語の善と悪が一瞬で入れ替わる驚愕の大どんでん返しである。
自身が大量虐殺者だと気づいたトリトンが、無言のまま太陽へと向かって旅立つという後味の悪いラストシーンでアニメは終了する。
戦争はそれぞれに正義があるという現実を提示した富野監督の独断であり、直前までスタッフにもラストのプロットを伏せていたという。
『海のトリトン』は富野の作家性を開花させた作品と言えるが、彼の考えは当時はまだ世間に理解されず、脱・勧善懲悪の流れは後年の富野作品、『無敵超人ザンボット3』『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』へと引き継がれていく。
こんな作品もありました
マジンガーZ
ど根性ガエル
科学忍者隊ガッチャマン
やはり72年はアニメ史における巨大ロボットシリーズの元祖、東映動画が制作した『マジンガーZ』がヒット作品筆頭に挙げられる。
過去に『鉄人28号』という巨大ロボットは存在したが、主人公がパイロットとして乗り込み操縦する設定は本作が初であった。
「ロケットパンチ」「ブレストファイヤー」など、武器の名前を叫びながら使用するのも本作から取り入れられた表現で以降定番化する。
番組スポンサーである玩具メーカーのポピー(現バンダイ)が発売した「超合金」フィギュアは異例の大ヒット。
アニメも大人気を継続したが、新たなフィギュアを作りたいメーカーの意向から74年に続編の『グレートマジンガー』にバトンタッチした。
『ド根性ガエル』は吉沢やすみが少年ジャンプで連載していたギャグ漫画で、東京ムービーがアニメ化する。
主人公ひろしとシャツに張り付いたピョン吉のユーモラスなエピソードが、子供たちを中心に幅広い層に愛された作品。
原作以上にハイテンションなキャラと、シャツごと動くピョン吉の誇張したアニメートが高い評価を受ける。
何度も再放送されては高視聴率を出した人気作品で、70年代以降の東京ムービーが新規に制作した作品では一番のヒット作である。
『科学忍者隊ガッチャマン』は原作漫画がないタツノコプロのオリジナル作品。
当初1年間の放送予定だったが高視聴率が継続したため、74年まで2年間続くタツプロ看板作になる。
70年代後半にアメリカでも「Battle of the Planets」のタイトルで放送され、その他世界各地で高い知名度と人気を誇る作品である。
キャラクターコスチュームは吉田竜夫社長と九里一平の兄弟が考案。
精密で迫力のあるメカ描写も画期的で、後にガンダムをデザインしたことで有名な大河原邦男のデビュー作である。日本アニメで初めて「メカニックデザイン」の肩書きが使用された。
このように各アニメ会社がヒット作を生み出す中、過去に『鉄腕アトム』を制作し、日本テレビアニメをスタートさせた建国の英雄、虫プロダクションは倒産の日を迎えようとしていた。