皆さま方こんにちわ。畑山公希です。


今回は、私の第二作品、「歴史が始まった日」の取材後記を書こうと思います。


先日私のツイッターにも投稿しましたが、作品を執筆の際に写真提供をしていただいた、銚子商業準Vメンバー伊豆弘さんが先日亡くなられました。

葬儀には、銚子商業後援会長の阿天坊会長、元ロッテのエース木樽正明さんも参列に来ていました。


ご冥福をお祈りします。


さてこの昭和40年の準優勝メンバーですが、このときの三年生だった、木樽さん、伊豆さんなどの銚子一中メンバーは、中学時代から斎藤監督のもとで野球をしていたメンバーでした。(詳しくは私の第二作品目に書いてます)なので、このときのメンバーは斎藤野球をよく知っていたメンバーもいたと言うことになります。監督の野球を理解したメンバーが多いということが甲子園準優勝と云う結果を残したのも納得の理由ですね。


先日、伊豆さん宅へ、お礼参りに伺ったところ、伊豆さんの奥様も元々中学時代から斎藤監督のの教え子だったそうです。


ちなみに、斎藤監督の教え子たちは必ずと言っていいほど、監督のことを「齋藤先生」と呼びます。


地理教師 斉藤一之


斎藤監督については名門校の名将ということが先行しているので、教師としての面はあまり表に出てこない事が多いです。このへんは私の最初の書籍で少し書いていますが、監督は地理の先生でした。


伊豆さんの奥さんの話を聞くと、「先生、地図を書くのだけは上手いねー」と生徒から言われていたとか。


また時折、野球を理由に自分の授業を自習にしたりと、なかなかおもしろい話も聞けました。


今日はこのへんで


続く


畑山公希


もう二度と会社員にはならないと誓ったパワハラ受け続けて18年で会社員やめた、現役草野球おじさん。


22年に、銚子商業野球部ノンフィクション第1弾「怪物退治の夏〜昭和48年甲子園2回戦〜銚子商と斉藤一之」を出版、デビュー。

24年4月に、銚子商野球部ノンフィクション第二弾「歴史が始まった日〜昭和40年甲子園決勝〜斉藤一之vs原貢」を出版。


現在も千葉県の高校野球の歴史に関する書籍を執筆中。


準優勝時のパレードでの伊豆弘選手。当時珍しいカラー写真で残っていました。