皆様こんばんわ。


畑山公希です。


今回も、なぜ私が作家のスタートを銚子商業野球部にしたのかを語っていこうかと思います。


斉藤一之。Wikipediaでも掲載されている昭和の名将は、甲子園監督勝利数23勝、部長勝利数を加えると29勝。公立高校の勝利数としては驚異的な数字で、銚子商業の歴代の甲子園勝利数39勝(千葉県トップ)のうち、半数以上を斉藤一之監督が占めています。


千葉県内の甲子園監督勝利数はトップ。斉藤一之監督の唯一の後継者、現安房拓新高校野球部監督、黒川栄一監督も「もう二度と破れないでしょう」とおっしゃっていたほど、今となっては不滅の記録となっています。


しかしながら、これまで斉藤一之監督についてはこれほど有名な方にもかかわらず誰も書籍化をしていませんでした。これは、私の最初の作品「怪物退治の夏」でも書きましたが、以前「銚子商野球部ノート」という本が出版された過去がありましたが、メインは斉藤一之監督ではなかったそうです。


物語としての書籍、そして斉藤一之監督を中心に書いた作品は私の書籍が初めてだったと各方面から言われておりました。


銚子商OBではない私がなぜこの作品を?と思った方もいましたが、それよりもなぜ、「誰も書いていなかった」のほうが疑問が大きかった気がします。


書いていてわかったことが、非常にしがらみがあるのだなと感じたことでした。


ある方に取材をしたときに、「それ書いて大丈夫か?」と言われたことがあったのですが、「大丈夫です。自分銚子商のOBではないので」というとその方は納得していましたが、色々「怖がっている」印象がありました。


こう考えると私のような「他所者」だからこそかけた作品でもあるのかなとも思いました




写真は昭和40年の斉藤一之監督。当時36歳


続く


畑山公希


「我が人生、パワハラとの戦い」を自負する、パワハラ社会を嫌う、世捨て人おじさん(笑)


22年7月に千葉の高校野球の名門「銚子商業野球部」と名将と謳われた故・斉藤一之監督にまつわるノンフィクション作品「怪物退治の夏〜昭和48年甲子園2回戦〜銚子商と斉藤一之」を出版。


今年4月に銚子商業野球部ノンフィクション第二弾「歴史が始まった日〜昭和40年甲子園決勝〜斉藤一之vs原貢」をアメージング出版社様より出版。


現在銚子商業野球部ノンフィクション第三段を執筆中