本格的に神様の物語を書かせていただけるようになるまで~その3 | 神々様の童話作家 あいかわゆき

神々様の童話作家 あいかわゆき

縄文時代の指導者であられた日本の神々様の物語★
神々様の愛を伝えながら、本当の日本を取り戻すお手伝いが
できればと願っています。

2022年8月末に、父はもう長くないだろうと、父の後妻さんから連絡がありました(何から何まで大好きだった母は、こうきの 1年半ほど前に、天に還っています泣くうさぎ)。

 

カナダから飛んで帰ったわたしに、父が最初にかけた言葉は、

 

「苦労したねえ」

 

でした泣くうさぎ

 

年甲斐もなく号泣しながら「もう二度と、お父さんとお母さんのそばを離れるようなことはしない。ずっとそばにいる」といって、父の手を握りしめました泣くうさぎ

 

余談ですが、わたしは、今世を含めて四回連続で日本人として生まれてきたため、途中から異国に出るよう、生まれる前に決めてきたようです(たぶん、嫌々^^;)。

 

父は、母が亡くなってから、寂しくて、寂しくて、たまらずに(続けてこうきも亡くなっていますから泣くうさぎ)、甘いものばかり食べていたようです。食事も、自分では作れない人だったので、推して知るべく・・・・・・。このため、糖尿病になり、少しずつ体調を崩していきました💦

 

母が亡くなって8年後に、後妻さんと出会い、それからは、幸せな年月を過ごしていたのですが。

 

最後は、誤嚥性肺炎になって、お医者さんから、食事をストップされてしまいました。

 

ベッドで本を読んだり、食事をしたりしているだけでもいいから、生きていて欲しいと願い、オステオパシーの先生に看ていただいたのですが、寿命には勝てませんでした。

 

でも、ある朝、父が、わたしの手を取って自分のほほに当て、両手で握りしめて頑として離そうとしなかったことは、わたしのこれからを支えてくれる、大切な宝物となりました。意識がないようにみえても、ちゃんとみんなわかっていて、震えるほど強い力で、握りしめてくれました。

 

お墓を受け継いだ時も、天がものすごく喜んでいるのを感じて、わたしも嬉しかったおねがい

 

最後に父が幸せで、大往生だったのだから、それが何よりなのだと自分にいい聞かせて、カナダに戻りました。

 

それから、しばらくして、神絵画家の崇尾青見先生に連絡するよう、天から促されて(いつものパターンがあるのですお願い)、メッセージを送りました。

 

すると、今わの際に、父が「娘を育ててやってください」と、大神様にお願いして還っていったと、お知らせいただきました。

 

父とご先祖様のたっての願いとのことで、わたし自身は、まだまだなのだけれど汗うさぎ、「謙虚、倹約、誠意、信仰心」を条件に、須佐之男さまの神絵本体をお譲りいただけることになったのです(これまでは、レプリカ止まりで、それでさえ、「こうでもしないと納得しないだろうから」という神々様のお情けで、やっとお譲りいただいたのでしたお願い)。

 

カナダに留学する前に両親と

 

 

著書の印税などは、すべて、神様のための活動に使わせていただいておりますm(__)m