倉敷の発展 | こぶたの学校・放課後ブログ

こぶたの学校・放課後ブログ

放課後は見知らぬ街を歩きたい https://www.kobuta3.net

 昔、倉敷にきたことがあり、お堀の周りだけが写真映りのいいように整備されていたイメージがあったのですが、3倍くらい美観地区は大きくなって、多くの店が開店し、発展していました。

 戦火を免れた倉敷には、戦前からの多くの建物がほぼそのまま残っていました。戦後になると、古い建物を時代に合わせて活用する風潮が生まれ、町並みの保存事業が本格的に始まり、1968年「倉敷市伝統美観保存条例」が制定。翌年には「倉敷川畔美観地区」に指定され、“美観地区”の呼称が初めて使われました。

 ちなみに倉敷の町並み保存を最初に提案したのは、大原孫三郎の息子である大原総一郎です。ドイツを訪れた際に、その古くて美しい町並みに感銘を受け、倉敷も後世に残したいと考えたようです。