学校に行けなくなった息子 | 大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

日々の普通の生活が当たり前だと思っていたけど、それは当たり前では無かった。
今日と同じ明日が必ずあるとは限らない。
本当に大切なものは目には見えないから、私の心が感じたことを忘備録として残します。

息子は中学2年になっても、不登校のまま

学校には行けない状況は変わりませんでした。


中学に進学してすぐに先生とのトラブルがありました。

そして、20年前は発達障害や学習障害がまだ今ほど認知されていなくて、教師でさえ理解してくれない人が多かったです。


サボっているとか、努力が足りないとか…

そんなんじゃないんですよ

やらないんじゃなくて出来ないんですよ


今まで沢山がんばって来た息子は

もうこれ以上は頑張れなくなってたんだと思います


そんな中、いろんなストレスを抱えた息子は中1の夏休み前に友だちと二人で、ちょっと騒ぎを起こしてしまいました。


補導されて夏休みは児童相談所で過ごすことになりました

児相で改めてまた発達検査をした結果、「この子にこれ以上、頑張れと言ってはいけない」と言われました。


心理士さんは「彼は今までとても大きな重荷を背負って生きてきた」これ以上、彼に重荷を背負わせてはいけない。

頑張りを求めてはいけないと言われました。

これ以上に頑張ったら心が壊れてしまうと…


私は今まで、息子には普通以上の事は求めていないつもりでした。

普通に宿題の漢字プリントを書いたり、本読みや算数の計算、九九を暗記したり…

私が普通だと思って来たこと全てが、息子にとっては普通ではなかったのです。

毎日の普通が、彼にとってはたいへんな苦痛だったんだと改めて知りました。


兄たちは普通に出来ていたから、彼にも出来ると勝手に思い込んでいました。


でも、そうでは無かったんだ。


私は知らないうちに

彼をずっと苦しめていたんだと、

この時にようやく気が付きました。


それでも私は学校には行って欲しかった

勉強出来なくても

勉強しなくてもいいから

学校に行って、その時にしか経験できないことを経験して欲しかった。


馬鹿な私は

心理士さんにそんなふうに言われていたにも関わらず

不登校になった最初の頃は

息子を何とかして学校に行かせようとしていました。


今、思えば

私は一体何をしてたんだろうって思います

私は息子を苦しめていたんだと

今なら分かります。

でも、その時は私はまだ世間体ばかりを気にしていたのかも知れません。


息子の気持ちよりも、知らず知らず自分の気持ちを優先していました。

本当に悪い母親でした。

酷い母親でした。